私の仕事は建築設計です。
おもに個人の住宅を設計しています。
家というのは設計しただけでは出来ないもので(あたりまえですが)
作ってくれる人が必要です。
そして、個人住宅の場合、だいたい中小の工務店さんが工事を請け負ってくれることになります。
私の仕事は建築設計ですが
作り手を選ぶというのも私の仕事です。
今までは信頼できる工務店を特明で建て主さんに紹介してきました。
しかし、ここのところ、考えが変わってきました。
それは、工務店さんに対する信頼について、我々に何が出来るのかと言うことなのです。
私がまだ小さい頃。
私の街には何人かの大工さんがいました。
その中でもある大工さんの評判は高く
仕事を頼むならばその人にと、誰もが思っていたのです。
その大工さんも、そんなふうに思ってもらっていたら下手な仕事は出来ません。
だから、ますますその大工さんの評判は高くなってゆきました。
これは、信頼関係が培われるひとつのストーリーでしょう。
その背後には地縁的な人と人の繋がり、逃げることの出来ない限定された生活圏、というものが存在しています。「下手な仕事が出来ない」というのは、逃げることが出来ないということ。逃げることが出来ない故に腹をくくって仕事に向かっていたわけですね。
ところが、最近、住宅を誰に作ってもらおうか、という話を建て主さんとするときに、「近所で評判の大工さんはいませんか?いたらその人を候補のひとりにしましょう」と呼びかけるのですが、結果としてはひとりの大工さんの名前も挙がりません。大工さんが近所の評判で仕事をしていた時代はいつの間にか消えてしまっていたんですね。
たぶん、これは地縁的な人間関係の繋がりが希薄になった、あるいは崩壊してしまった、ということなのでしょう。
しかし、我々はそういう時代に生きているのです。
私は、今までの仕事から、この工務店なら信頼できるという工務店さんを何社か知ることが出来ました。今までは、そうした工務店さんを建て主さんに紹介して特明で仕事を依頼してきたのですが、ここのところ考えが変わってきています。
といいますのも、その工務店さんと信頼関係で結ばれているのは、設計者であるこの私、古川泰司という個人であって、その評価を客観的に建て主さんに示すことが出来ないということに気がついたからです。これでは、私の独りよがりではないのか、建て主さんが参加できていないではないか、と。
特に、例えば、特明で工事を依頼したときに、工事金額の妥当性についてちゃんとした説明が出来ない自分を発見し、これで良いのかと自問自答した時もありました。
もちろん、その工務店さんには最終的に良い仕事をしていただき、建て主さんも工事金額の妥当性を結果として納得し喜んでいただいているので問題はないのですが、それではだめなのではないかと思い始めた、ということなのですね。
住宅は、建て売りやマンション、中古住宅でない限り、買うものを自分の目で確かめてから買うことが出来ません。特に、我々設計者が設計する家は、未だこの世に存在しないものに対してお金を払ってもらう約束をするわけです。まさに信頼あってこそなのです。が、この信頼というものを押し売りしているとすれば、それはまずいことだと思うのです。
信頼できますから、信頼できますから、と説得しても、それは信頼の押し売りにすぎないでしょう。それは、一般の人が訳もわからぬうちに雲を撒くように物事をすすめてしまうのと同じではないでしょうか。それは、私には一種の暴力のようにさえ思えます。
それではいけないと思ったその時に、工務店さんを選ぶというプロセスを共有できたら、工事金額の妥当性についてケンケンガクガク検討する、そのプロセスを共有できたら、そんな思いが頭をよぎります。
今までは合い見積もりというようなことはなるべくは避けてきました。
私も工務店で見積もりを作っていた経験がありますから、一軒の家の見積もりをまとめるのは大変な仕事であることはよくわかっています。ですから、依頼されるかどうかもわからない仕事に対して、見積もりを作ってもらうことは申し訳ないという気持ちが私にあったのですね。
しかし、このところそれは間違いだなと思うようになりました。もちろん、仕事をとれなかったときの損失は大きいとは思いますが、とれたときには、その時点で設計者を仲介とする建て主さんとの関係がニュートラルになってる。つまりは、人に紹介された仕事ではなく自分で勝ち取った仕事であるという意識が工務店さんに生まれ、その気持ちが建て主さんに伝わり、結果として工務店さんと建て主さんの信頼関係を築くことに、確実になるのです。
合い見積もりをこのところ続けてやっていますが、
この違いはとても大きいものだと最近ますます感じるようになっています。
そして、ここにしか、工務店さんと建て主さんが対等の立場になれる方法はないのではないかとも考えるようになっているのです。
<この記事、続く予定>
<追記2007.07.01>
工務店を指定して工事を依頼することを
「とくめいで依頼する」と言います。
この記事では「とくめい」に「特明」という漢字を当てていますが
実は、正しくは「特命」です。
ある方にご指摘をいただきました。こういう間違いは正しくした方が良いと私も考えておりますので、ご指摘はいつも嬉しくご厚意として受け取らせていただいております。
実際に、私のほうでも調べ直してみますと「特命」漢字が正しい。
しかしどうしても、この漢字に違和感を感じてしまいます。
というのは、この「特命」という言葉の意味が「特別の命令」という意味だからです。
工務店に工事を依頼するのは命令でも何でもありません。それは、私が作り手である工務店さんと一緒になって建築の現場に望みたいと思っているからです。指示系統は一方的ではなく双方向的であることを理想としているのです。そのことからすると「特別の命令」という言葉に大きな違和感を感じたというわけです。
ここは、そうした私の気持ちも込めて、造語的ではありますが「特明」という漢字をあてさせたままでいただければと思いました。
正式には間違いですが、ご理解をいただければと思います。
こんばんは、お疲れさまです、
気合が入った内容で思わず、投稿してしまいました。
furuさんはあと10年は良い工務店探しを続けるべきですね、
あと5年もすれば、昔ながらの工務店も淘汰されて、furuさんと同世代の工務店経営者の
時代になってゆきます、 今は分かれ道の時期なのであと5年もたてば良い工務店、
駄目になってしまった、工務店それぞれでてくるでしょう。
その時点で、指名で工務店を選んで差し上げるのは、宜しいのではないでしょうか。
まだお若いですから、意外に良くやっている若い職人を発掘してあげる事も、
furu さんならできると思います。
森を守りつつ、良い職人も守る、できると思います。
見積り作業は、私も良く行ないますが、確かに大変です。
平米いくらなどの根拠も、考えれば考えるほど難しいです、
仕事のしやすい現場、仕事のしにくい現場、いろいろな条件があるにも関わらず、
塗装やさん、タイルやさん、などの単価は同じ場合が多い?
それって不動産やさんの坪いくらの縮小版なのか?
ほんとに悩みますが、材料が安く買えていくらで、
職人が何人工かかるか、それだけが平米単価の根拠だと私は思っています。
そして正当な経費率、うーん難しいですね。
建て主さんと工務店の関係は、ちょっとだけ建て主さんが、上ぐらいが
私は快適です。
ご無沙汰しています。ハママツのkameです。
いや、施工者選定は難しい問題ですね。
確かに、私達設計が信頼を置いている施工者であっても、
施主との相性がイイとは限らない。
完成後までお互いおつきあいが続くと考えると、お見合い期間は長い方がいいのかと。
最近考えているのは、設計スタート段階で施工者選定を施主と共にやるかと。
設計完了してから施工者を選ぶとなると、いくら図面で表記していても、
苦手なものはやっぱりウマく仕上がりませんし、
その辺りも選定基準に入っているという事を、
施主さんにもライブで感じてもらった方がいいと思い始めてます。
見積もり依頼はある程度お見合いをしてからと。
見積もりが簡単にできる=専属(営業とか積算とか)が充実している=固定費が掛かっている。
専属が居る事自体が悪いとは思いません。
ただ、規模がその規模なのか。
無理をしてもらうのなら施工でがんばってほしいから、
あえて当て馬にするような見積もり依頼は出したくない。
そう思うのは古川さんも同じですよね。
相見積もりをやると、どうしても単価の妥当性が気になりますが、
その単価の根拠は、やはり施工者サイドで根拠を持ってやっていることですし、
その根拠が見積もりを見ると「丁寧な仕事=人工がかかる」コトが多い様に感じてます。
野丁場のシゴトをやっていた頃は、それこそ単価で切りまくっていましたが、
その結果として、いいシゴトで終わった試しがありませんでした。
施主さんとしては工事費は安くなったけど、
ケンチクとしては「ハードランディング」。
仕込み仕事等出来ない単価でやってもらっていたので、
その後の建物の持ちが全然違いました。
長く住むものですから、ソフトランディングで施主・施工・設計の三方が気持ちよく付き合いたいですし、
そのコンサルティングというか、仲立ちを設計がやるべきだな〜と、
つくづく思いますね。
特に最近のお施主さんは、土地を買ってから相談に来る事もあり、
その時点で予算と融資プランを聞いて「たはぁ〜」と思う事も多いです。
無理し過ぎて、生活の余裕が全くでない予算を聞かされると、
施主さんの完成後の生活がものすごく不安に感じます。
家を建てたがために、余裕のない生活を送ることになる。
これって、本末転倒なような気がしてなりません。
何のために家を建てるのか、その辺りから関われるとホントはいい家が出来るんですが。
みなさま
古川です。
今、松本にいます。
コメントありがとうございます。携帯からコメントしています。携帯の文字入力は相変わらず苦手ですので後程改めてコメントさせていただきますね。
今、松本から帰ってきて一息ついたところです。
murakaさま
若い職人さんの未来について考えると
どのように職人さんがこれからの社会で信頼を得てゆくのか、考えてしまいます。
もちろん、若くて良い職人さんもたくさんいると思いますが
みな、先行きに不安を感じている。
それは、旧来の職人さんの信頼を守る土俵が崩壊し始めているからでしょう。
その崩壊に、誰も決定的なNoが言えない。
世の中はそのように変わってゆくもの。
では、職人さんはどのように変わってゆけばいいのか。職人さん無くして我々の仕事が成り立たないのですから、いろいろ考えさせられるところであります。
そうしたことも、信頼の担保とはなんぞや、という問題に帰結してゆくのではと考えっています。
kameplan さま
こちらこそ、ごぶさたしております。
そうですか、野丁場相手の仕事をされていたことがあるんですね。
私もゼネコン相手の仕事の経験があります。
コストを下げ、単価を下げる。
きりきりと押し通すと、それなりの単価が出てくる。しかし、現場にはシワが寄り放題。
現場監督の裁量がないと最悪の結果になります。
工事費は安ければいいというものではないですよね。
しかし、世の中には工事費の安さで仕事をとってくる工務店さんもいる。その安さが独自の工夫で無駄を省いた結果ならば、手を叩いて大歓迎ですし、その工務店のフアンになってしまいます。一方、高い工事費でどうして?というような対応だったりすると、考え込んでしまいます。私は、工務店に対してもそういう眼差しを向けてあげることが大切なのではないかと、最近思い始めました。
工務店を良くするのも悪くするのも設計者次第、ということ。そういう意味での設計者の責任を考えています。
それをふまえた上で、建て主さんと工務店さんの信頼を取り持つのは我々設計者の仕事であるというkameplan さんの考えに大いに賛成です。
その時に、信頼の担保付けをどうしてゆくのか、我々設計者も考えてゆかないといけないと思うのです。
最近私の周りの工務店では、紹介者のいない建築家の相見積りは受けないというところが増えています。もちろん私共では以前からそうしていました。古川さんがおっしゃるとおり、見積りには手間隙がかかるし、見積書が読めない設計者が増えたことにも起因します。例えば図面に水切りが書かれていなかったとしましょう。(信じられないでしょうがこんな図面がざらにあります。)A社は施工能力が低く水切りが必要なことに気付きませんでした。B社は水切りが必要なことには気付きましたが、図面に描いて無いから問題が起きれば設計者の責任とあえて見積もりに入れませんでした。C社はつくってしまった建物は誰の責任と言うことではなく住まい手が困るし工務店としてメンテナンスしなくてはならないからと見積もり計上しました。さて結果はと言うと多くの場合C社は受注できません。水切りを忘れる設計者に見積りを読み取ることなどできないからです。さらに、実施案ではなくラフな計画案で相見積りしようという設計者までいます。有名事務所でも親父の目が通っていないのに図面が出てしまうこともあります。そんなこんなで、現在相見積りは「ダメな施工者を探す最善の方法」になってしまった感があります。少なくても相見積りするからには、役所と同じように「金抜き(見積り項目・数量が記入された見積書)」を設計者が用意するべきだと思います。設計者の責任を明確にし、同じ土俵で金額勝負しないと本来の相見積りが機能しないからです。
私は、同じ地域の仕事で毎回施工者を変えている設計者は信用しません。その多くが自分勝手でプロデュース能力が欠けているため、現場が上手く廻らないからです。
私たちが喜んで参加できる「正しい相見積り」のルールを構築してください。お願いします。
東京町家 こと迎川さま
合見積もりが良いとは、私も考えていません。
ただ、合見積もりをするということの積極的な意味があるなあと
最近感じることが多かったのですね。
迎川さんが言われるように、合見積もりを工事金額を下げるための手段と考えている設計者も多いかもしれません。
また、合見積もりの場合には、いい加減な図面ではいけません。それは見積もりをしていただくこちら側の心構えとして大切なことだと思っています。
さらに、合見積もりでは
参加される工務店さんと設計者の間には、何らかの信頼関係が必要だと考えています。
その信頼関係を建て主さんに伝えるためのプロセスとして、合見積もりは有効に機能するということを最近感じているのです。
そういう意味では、最終的に建て主さん、工務店さん、設計者の三者の意思合意につながる合見積もりこそが、私が考える正しい合見積もりなのだと思います。
古川さん、お願いです。
健全な相見積りのあり方を探って、以前私のブログで「住まい手」「描き手」「つくり手」で意見交換した事があります。その時「描き手」の意見が極端に少なかったのです。特に相見積り肯定派の意見は皆無でした。
そこでお願いです。
少し長いですが、下記アドレスより相見積りに関する記事を読んでいただけないでしょうか。そしてアンケートに御参加いただけないでしょうか。
http://tokyomachi.exblog.jp/4019929/
それから、この記事を「描き手」のインデックスに加えさせていただけませんか。
http://tokyomachi.exblog.jp/4063744
できれば、古川さんのブログでも相見積りについて、いろいろな立場の方の御意見を伺っていただけませんか。
そんな中から『愛見積りの作法』が生み出せればと考えています。
多分古川さんが最近疑問に感じていることも、答えが見つかるのではないでしょうか?
迎川さま
東京町家の記事は読んで知っていました。
その時は、どちらかというと合見積もり反対派でしたが
最近、合見積もりの有効性があるなと気がついたのですね。
インデックスの記事にTBさせていただきました。
古川さん、現在EXCITEはTB機能が調子悪く、Excite以外のTBを受け付けていないようなので失礼します。
早速のコメントとアンケート回答ありがとうございました。
TBインデックスに加えさせて頂きましたので御確認ください。
御協力に感謝します。
今度、相見積をとります。
地元の工務店、建て主が関わっていた工務店(いい工務店だと思います)です。
その工務店に見積をしてみたら、地方なんですが、東京の工務店より高い(笑)、、、
高い理由がよくわからない、、、僕が納得できない(笑)!!
そんな事で、普段はやらないのですが、自分が信頼できる工務店に相見積を頼みました。
(信頼できる工務店というのがミソです)
最近の工事費の高騰にはこれまでのノウハウ、勘が成り立ちません。
これは工務店のせいだけではありません、、、考えたあげくに相見積をとります。
高いだけの事ではないのです、、、、内容が明快でなかったから、、、いい仕事につながらないと思いました。
多分、古川さんもそのあたりではないか?と思うのですが、、、。
最初から信頼できる工務店であればそんな事にはならないのです。
自分を強く信頼してくれる施主であれば、あるほど、
自分の価値観で、よりいい仕事ができる、よりリーズナブルなコストで、、、という事の
目安が自分の中にあり、納得いくかどうか、、、、です。
どこに施工を頼むか?というのはプロである僕らが提案できなければ、、、、
自分の設計、打合わせしてきた事を実現してくれる人たちは誰でもいいわけではないのですから。
ダメな設計者は施主の信頼を得るために「合見積」に逃げる事です。
それが工務店の疲弊と職人を殺すことにつながると思います
職人がいなくなり、工務店がなくなると、
どんないい設計をしても造ってくれる人がいなくなります、、、困ります。
そのような相見積はしてはいけないと思います。
設計者の大事な仕事のひとつは
信頼できる工務店に安心して、特命で仕事が頼めることのはず。
設計者と施工者に信頼関係があれば、どちらかに信頼関係があれば、3者は信頼で結ばれると思います。
今の時代こそ、それが必要なのです。
ぼくらの目標とする、尊敬する建築家(住宅作家)はそうしています。
それが時間を得て、間違いでない事を信じています。
設計者は特命で仕事を頼まれているわけです。
ぼくの特命の解釈は「特別の使命」です、、、こんなうれしい事は無い。
施工者も当然、感じるはずです、、、ぼくらと一緒です。
信頼が無いから、設計コンペがあり、相見積があるのです。
そこから、信頼が生まれる事もあります、、、そんな事をしないでどうしたら
信頼されるのだろうと考え込んでしまう、今日の状況はあるかもしれません。
そのためには誰が見てもいい仕事(特にプロの眼は厳しい)をするだけです!!それしかない、、、
とりあえずは、自分が揺るぎない信頼を得られるように頑張るしかないのでしょう、、、、
そう思っています、、、おかげで休みが少ないです(笑、、、楽しいですが)。
そのうち、報われる日が、悩みのカーテンが落ちる日が来ると信じています。
伊礼さま
合見積もりですか。
なかなか大変ですね。
確かに、ここのところの工事費の高騰には私も困っています。
伊礼さんも言われているように工事費の予測がしづらくなっています。
私が、合見積もりをしようと思った原因も伊礼さんのご指摘の通り
工事費の高騰によって工事費の予測と妥当性が検証しにくくなったという現実的な問題があります。
合見積もりに逃げる設計者は論外だと思いますが
私としては合見積もりも信頼あってのこと
コンペも信頼あってのことだと思っています。
そのなかで、合見積もりによって工務店さんとの信頼を得るということもあるなと思ったわけです。
そして、伊礼さんもおっしゃる通り
我々設計者の信頼の担保は良い仕事をし続けることにしかないと私も考えています。
追伸
>悩みのカーテン
落ちると良いですね。人事ではないのですが。σ(^_^;)
古川さん
今度、相見積をしますが
それは特命で頼んだ上で、どうしても納得がいかないからです(辛いですが、、、)。
また、残念ながら仕事を頼めなかった工務店にはきちんと見積費用を払うという事で
施主に確認をとっています
(20万円くらいです、、、見積を頼んだ信頼ある工務店は2週間もかけています、、、少ないでしょうけど)。
それが了承してもらえれば施主の信頼もあるという事で自分は納得しています。
古川さんの
相見積で施主や工務店との信頼関係を得る事もあるというのは具体的にどのような事でしょう?
その手法を体験をもとに明快に語っていただきたいのです(体験しか説得力を持ち得ません)。
新たなヒントがあるかもしれません、、、。
昔、、、最初から相見積をとった住宅は、僕にとって胸を張れない結果となっています(ホントです)。
建て主はもちろん、関わった人の多くが喜ぶ、胸を張れる家づくりを目指したいですね、、、
今は大体、それができていると思います。
悩みのカーテンは落ちているのかもしれません(?)、、、
最初から相見積をとるような仕事ではないからだと思います。
そうはいうものの「相見積」とは何か?を見極めたいと考えています(笑)
伊礼さま
まずは、私は必ず相見積もりをしているわけではないこと、まず相見積もりありきという考えではないことをご理解下さい。
相見積もりは工務店選びの数多くある方法のひとつです。
私が相見積もりを依頼する場合には
参加していただく工務店さんに必ず会います。
時間があれば工務店さんの会社にお邪魔させていただきます。
作業場も見学させていただきます。
そして、顔と顔を合わせて、家づくりのことなどこちらの考えをお話しします。
それに対する工務店さんの考えや意見も聞きます。
必要ならばその工務店さんの手がけた物件や工事中の現場も見せていただきます。
我々が依頼する仕事は実体のあることです。
まず、実体があるからこその工事金額。
そこをちゃんと押さえていなければ、作り手に対して失礼だと考えています。
また、建て主さんにも体を動かしていただいて工務店さんに会っていただきます。
出来れば、現場も見ていただいています。
工事というものは実体あってのことなのだということを体で理解していただくためです。
この時点で、相見積もりをせずに工務店を選ばれる方もおられると思います。
そうなってくれたらいいなあと、内心考えていたりします。
一方、工事には当然のこと予算があってこれから始まる家づくりを予算内で納める責任が我々にあります。工事の予算はあればあった方が良いのですが、現実はそうはいきません。限られた予算内で納得のゆく見積もり、工事の信頼に裏付けされた見積もりが必要です。そして、見積もりにはびしっと緊張感があるのが望ましい。やはり、工事に望む真剣さが見積もりには出ます。その真剣さが、真剣な気持ちが信頼を生むのだと思うのです。
真剣な見積もりは建て主さんも真剣にさせます。設計者である私も真剣になります。文字通りの真剣勝負です。真剣勝負を勝ち抜くと言うことから生まれる信頼というものが必ずあると考えています。
以前、とあるコンペでご指名をいただいたときに、そのコンペは三社の相見積もりを原則としていました。候補となる工務店さんの一社に相見積もりを絶対にしないところを選んだのですが、そこの社長さんと話しているときに、古川さんはコンペで勝ち抜いたんだから、我々も相見積もりに参加しますよ、と言ってくださいました。
とても気持ちの良い対応にすがすがしい気分になりました。
私が求めているのは、そういう真剣勝負の緊張感なのだと思います。
その真剣勝負のプロセスを建て主さんにも感じてもらうことがとても大切だと考えているのですね。
そこをもっと突き詰めて考えてゆけば、別に相見積もりなどしなくても真剣勝負の緊張感を建て主さんに伝えることが出来るのかもしれません。
しかし、真剣勝負なしでは信頼関係は築けないと言うことも確かなことだと思っています。