「小澤征爾さんと、音楽について話をする」
著:小澤征爾、村上春樹 出版:新潮社
小澤征爾氏の健康については世界の心配事ではありますが、この本を読むと、まだまだ小澤さんは元気そうで、これからも演奏活動をやってくれそうだなと思えて、こちらもちょっと元気になります。そんなことはともかく、この本はとにかく面白い本でした。小澤征爾、村上春樹のフアンも、音楽フアンも、決して期待を裏切られることのない内容の深さをこの本は持っています。
グレン・グールドとのくだりや、バーンスタイン、カラヤンとのことなど興味は尽きない内容なのですが、一番面白く、そして本の中で占める割合が大きいのが、小澤征爾がマーラーについて語っているところでしょう。小澤征爾のマーラー論と言ってもいいほどの内容ではないかと思うのですが、そのなかでも一番びっくりしたのは、小澤征爾がスコアだけでマーラーに惹きつけられたというところです。
私たちは、マーラーが好きだとは言っても、バーンスタインとかカラヤン、クーベリックとか、あるいはジュリーニとかアバドとかバルビローリ、あるいはウィーン・フィルとかアムステルダム・コンセルトヘボウとか、演奏者の名演をCDで再生して聴くことから 初めてフアンになるわけです。しかし、小澤征爾は他の人の演奏を聞くことなくスコアだけでマーラーの虜になる。私も9番のスコアを興味本位で持っていますが、あの複雑なスコアを読み解き、スコアだけからマーラーの世界に触れるなんてことは、ありえない。まあ、マーラーに限ってではなく、そういう音楽との接し方は、私を含め多くの人にはありえないのではないかと思います。
演奏とは演奏者の解釈の上に成り立つものです。ですから、演奏者の演奏する音楽を聴いている私などは作曲家の意図というよりも演奏者の意図を聴いているのかもしれません。その点で、小澤征爾は、私などは想像もできないような接点を音楽と思っているのだなと思ったわけです。特にそれが、マーラーだったということがすごいことだと思いました。
ここには、たくさんの考えるべきことが潜んでいます。たとえば、クリエイティブな仕事をしていても、実は誰かの真似を繰り返しをしているに過ぎないことも多いということ。私たちは、先人たちの足跡の上でイメージを語っている。誰かの創りだしたイメージの中だけでぬくぬくと生きている。しかし、それではイメージは固まって枯渇してゆきます。先人たちの足跡の上で新たなイメージを喚起する必要があるのです、そして、それができるのが本物のクリエイターではないでしょうか。物を作る私たちにとっても、先人の創りだしたイメージに縛られないということは、とても示唆的だと思います。そういう刺激を頂いたという点でも画期的な本だなと思うわけです。
さらに小澤は、指揮をするうえでは、マーラーに限らず、とにかくスコアをに読み込むことが大切だといっています。私たち建築設計者の立場で言うと、それは図面を読み込むということです。音楽ならばスコアがすべてである。建築ならば図面がすべてである、ということでしょうか。 先人たちが創りだしたイメージに縛られずに空間を想像してゆくためのヒントがここにはあるのだと思いました。図面を読み込むことの大切さ。そこには深いなにかがありそうです。私にとっても新たな気づきがあった一冊でした。