「少年カフカ」 村上春樹編集長
新潮社 定価:950円(税別) ISBN4-10-353415-X
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とにかく、「海辺のカフカ」をめぐる、ぼうだいな文字がここにはある。
「少年カフカ」というのは、小説家村上春樹と一般読者との、小説「海辺のカフカ」に関するメールのやり取りを収録した本だ。収録されたメールは1230通。量にして500ページ近い。
「海辺のカフカ」という小説は2002年9月12日に発売された。本の発売と同時に公式ホームページが開設され、そこから読者はメールを送れるようになっただけでなく、その中の何通かには村上氏自身がお返事を書きますという企画だった。12月20日の締め切りまでに送られたメールは総数で8000以上だったそうだ。そのすべてに目を通したというから村上春樹はすごい。そして、その中の1230通にお返事を書いた。これはもっと驚くべきことだ。
「2ちゃんねる」という公開掲示板のホームページがある。
さまざまな話題がホームページの掲示板というかたちのなかで議論・意見交換されている。
しかし、そのすべてが友好的なものとは言い難い、悪意に満ちた、そういう掲示板も含まれている。
悪意、揚げ足取り・・・・・。
「2ちゃんねる」のその醜態を取り上げて、インターネットというメディアに対して批判的な態度をとる方も少なくない。とても悲しいことだ。
最近の小学生はホームページを持っているということがステイタスになっていると、知り合いの先生から聞いてびっくりした。ホームページを持っている子は人気は高く、そのホームページでチャットが出来るとなればなおさら、なのだそうだ。僕らが小学生の頃とは、あまりに違う。
しかし、「2ちゃんねる」の例を出すまでもなく、チャットやメールというコミュニケーションは、コミュニケーションとしていまだ成熟していない。ましてや、コミュニケーションそのものに戸惑う思春期の子供たちにとってそれはいかなるものなのか。
メーリングリストや掲示板には暗黙のルールがある。ネチケット、ともよばれるものだ。
小学校の教育にもネチケットが取り上げられることになったそうだ。
小学生は良いだろう。これから社会に出てゆくのだから。問題は、すでに良識ある社会人の顔をした大人だ。そういう人の中には、インターネット・メール・掲示板・メーリングリストというコミュニケーションの手段そのものを理解していない方も多い。困ったものだと思う。
僕もホームページをやっていて。こうして書いているものが一体誰に読まれているのかわからないぞ、そういう恐怖に背筋をぴりぴりさせて書いている。特にblogを始めてからはgoogleでヒットされることも多くなったために、より広く世界に開かれた「場所」を強く意識するようになった。
こういう意識の持ち方、こういう緊張感、今までにないものだ。しかし、この緊張感を意識せずにインターネットと向かい合うことは出来ない。
さて、「少年カフカ」であるが、あまりの量の膨大さに、読了出来ずに放り出していたものを1年ぶりに手に取って先日読了した。
さまざまな感想をもって受け入れられている小説というもの、それは一体何なんだろう、ということを強く考えさせられた。と同時に、インターネットという世界でのやりとりが、これほどまでに深く掘り下げられた世界をつくることが出来るのだなと感心した。
深く掘り下げられた、というのはひとつのテーマに沿って議論が展開されたということではなくて、1200通を越えるさまざまな意見が、自分自身の存在をそれぞれもってそこにある、ということの事実が、リアルに、まさに深く、そこに表現されている(存在している)ということ。
読者それぞれの存在をそれぞれの微妙な違いをそのままに肯定的に受け止めること。それはひとえに村上春樹という小説家が持っている「言葉」というものに対する確固とした意識のあらわれでもあるのだと思う。とはいいながら、インターネットも捨てたものではないと希望を抱かせてくれる。
僕らはインターネットの経験を通して「言葉」という世界にどんどん敏感になってゆくことを求められている。その大きな課題は今始まったばかりだ。そして、永遠に続いてゆく、そんな課題だと思った。