「猫にかまけて」
著:町田康 出版:講談社
定価:1680円(税込み) → amazon
自分は猫が好きである。
どのくらい好きかというと、例えば往来をしていて、駐車中の車の下に猫がいるのを見つけたとする。と、もういけない。
本屋でタイトルにつられて手にしてみたらこんな言葉が1ページ目から出てきました。
ブログをやっておられるお仲間には猫好きがなぜか多い。
ブログと猫の不思議な関係がそこにはあるに違いないのでしょう。
そんな猫好きさんたちに、おすすめなのがこの本。
しかし、ちょっとねえ。猫が好きな方にとっては、ちょっと読んでいると辛くなる本でもあります。
ヘッケとココアという2匹の猫が死んでゆく様子が描かれているのですから。
ともかく、この本はなかなか奥が深い。
なぜなら、
「ペットとは何だろう?」とか
「住まうって何だろう?」「暮らすって何だろう?」
そんなことをこの本は考えさせてくれるからです。
うちには「豆太郎」という8歳を過ぎた雄猫がいる。
猫というのはおもしろいもので、やたらとくっついてきて自分を主張するというようなところがない。
同じ家の中にいても、家人と自分と豆太郎が三者三様で、それぞれそこにいる。家人につくでもなく僕につくでもない。そんなこと猫にとってはどうでも良いことのようにね。しかし、そのちょっと考えると冷徹なようなその態度が、実にその場の空気と一致しているというか、空気に「自然さ」という妙味をふりかけてくれている、ということに、猫を飼い始めた直後気がつきました。当時は子供もいなかったから、今だから話せるのですが、家人と自分の二人きりというのは時として息苦しいようなこともあるわけで、そんな時に豆太郎の存在に自分はずいぶんと救われた、そんな気がします。
今、子供が二人いて、その子供たちは、ある時はお母さんにくっつき、またある時はお父さんである僕にくっついてくるから、やっぱりそれは猫の豆太郎とはまったく異質のつき合いなのであって、そんなことを超越してしまっている猫の態度がつくる空間というのは、やっぱり僕の生活には必要だと思うのであり、それは、豆太郎という猫がいかに自分の生活にとってなくてはならない存在になっているのかということなのであります。
人間が勝手に、猫はこう思っているはずだ、と決めつけるのは不遜だし間違っていることが多いのではないか。ただ自分が苦しそうにしている姿をみたくないからそういう理屈を言っているだけであるように思う。
可哀相だから早く楽にしてやりたいといって本当に楽になるのは誰なのか、と思う。
死にそうなヘッケを前に打つ手が無くなった。一瞬「安楽死」の言葉が頭をよぎる。でも、町田康の奥さんは「ヘッケは生きようとしている。」と言う。その言葉に町田が思う「その言葉」。
また、町田は猫を見ていて教えられることがいかに多いかということを、本のあちこちでふれている。
人間を悩ませる煩悩の中でも厄介なのは見栄・虚栄心であろう。
猫にしたら何でそんなことをするのか分からないが例えば家などもある意味においては虚栄心の発露といえるだろう。
起きて半畳、寝て一畳。千畳敷で寝ても畳一枚。なんてことがいってあるくらいで本来であれば人間はそんな大きな家に入る必要はない。
もちろん、先日エントリーした「いるみねいしょん」のように、人間というものが抱えてしまっている、ときにはちょっと理解を超えてしまうエネルギーというのもあって、猫の生活と人間の生活は同じわけではなくまったく違うものだから、当然のことながら同じに語るわけにはゆかないけれども、猫の暮らしぶりを見ていて、自然体で住まうってどういうことだろう、それは人それぞれではありますが、必要最小限の豊かな生活というものがどういうものなのだろうか?そんなことを、考えてしまうことは、やはり僕にもよくあるわけで、それゆえに町田康のこの言葉に大いに共感するところなのであります。
仕事の話になりますが、特に僕の場合にはローコストの設計を依頼されることが多く、そんな時には、必要でないものをどんどん省いていゆく事がとても大切になってきます。ある意味、その「省く」という作業は住まい手との格闘にもなるのですが、その戦いがなければ本当に無駄のない設計は難しいだろうと思います。そんな時に、町田康と同じく、猫の生活を見ているといろいろなことを発見するのですね。そこで発見するのは、収納はどうしようとかそういう具体的なものではぜんぜんなくて、何だかこう空気みたいなものなのですが、そういう意味でも、猫は僕にとって師範ともよべるのだと思う。
そう、僕は、猫が何気なくのんびりと素通りする、そんな空気のような空間として、すまいをデザインできたら良いなあと思っているのでした。
<蛇足>
とても良い本です。そんじょそこらの評論家の推薦する本なんかよりもずっと心にうったえてくるものがあると思います。猫好きに限らず、多くのひとに読んで欲しいと思いました。
「豆太郎と空間学」なんていう駄文をむかしに書いていました。本家ホームページにリンクしています。