森とつくる いっしょにつくる
アトリエフルカワ一級建築士事務所

「田舎で暮らす!」—田中淳夫

12 レスポンス

  1. こーこ より:

    はじめまして、あちこちクリックしてる間にたどり着きました。
    四半世紀田舎暮らしをして、また最近、都会暮らしが始まり、少々とまどっている自分です。
    地域と繋がることの大切さ・楽しさが、田舎を離れてしみじみとわかります。
    逆に都会での繋がり方を模索しているところです。

  2. fuRu より:

    こーこさん、こちらこそ初めまして。
    いろいろクリックしてたどり着いたというのは、なんだか運命のようなものを感じますね。
    えっ?感じない?そうですか、その辺は人それぞれですね。
    田舎暮らしと都会暮らしというのは、なかなか面白いテーマだと思うんですよね。
    かく言う私も、高校まですごしていた街は、かなりの田舎、駅もない、見渡せば水田が広がる、そんなところでしたし、近所の方々との濃密なコミュニティがあって、こっちは知らずとも、すれ違いざまに、あそこの子供だよね、なんて言われるとびっくりしていたりして、このおばちゃんは僕のことをどこまで知っているんだろう、と思ったり・・・。
    そんな田舎が嫌で東京に出てきたということもあるんですが、今となっては、そういう地に足の着いたコミュニティに猛烈に恋いこがれる自分がいたりします。人って、勝手なものですね。

  3. Chichiko Papa より:

    地域という視座から考えますと、この本の「田舎」というワードを「東京地方」に、
    「都会」というのを「東京以外の地方」と言い換えても、同じことが言えそうです。
    東京は、なにをやってもいい特殊な地域だと考える人間が、特に戦後から激増
    しているようですが、地元の人間にしてみればたまったものではない・・・という
    感覚が、親世代やわたしの世代の“思い”として常に強くありますね。
    そこに代々先住している人たちを、まず一義的に考えて配慮する、あるいは話
    に耳を傾けるのは、日本じゅうの「田舎」や「都会」に関わりなく、どの地方へ行
    ってもあたりまえのことだと思うのですが、「東京」だけはそんなことをしなくても
    許されるという幻想でもあるのか、大きく履き違えている人間が多いように感じ
    ます。
    もともと東京は、江戸の昔から「ソーシャル・キャピタル」の宝庫なわけですが、
    それにすら気づかない、あるいは参加しようとしない「東京八分」人がなんと多
    いことか。(笑) 東京だって一地方であり、連綿と住みつづけてきた人間のいる
    「田舎」に違いないわけですが、「東京八分」人はカネにものを言わせ、次々と
    町のコミュニティや景観を破壊して恥じないですね。
    この感覚、「田舎暮らしをしよう」と考えたどこかの「都会」の野暮なカネ持ちが、
    村の慣習や伝統、人間関係をいっさい無視して、傍若無人にふるまう行為と
    本質的には変わらないと思うのです。

  4. fuRu より:

    まさに、Chichiko Papaさんが指摘されているように
    「田舎」と「都会」ということを非対称的に対比して考えるのではなくて
    そこでの人の活動はどうあるべきか、どうしたら充実したものになるのか
    都会人も田舎人も同じ人間だ、何も変わらないのだ、
    という視点でこの本には書かれています。
    それが、この本が、都会人から見た桃源郷、などという幻想に振り回されない「田舎暮らし本」になっている重要なポイントだと思います。
    ソーシャル・キャピタルが最後に取り上げられるのも、都会で築けなかったソーシャル・キャピタルが、田舎にいくと作れるような幻想を、断固として断ち切りたいという著者の気持ちの表れなんだと思いました。
    そうした広い意味で、田舎に暮らそうなんて考えていない人も、この本を読んで自分の生活をよりよくするための考え方を教えられるような、そんな好著だと思います。

  5. 栗田 より:

    fuRuさんのブログに、こーこさんがたどり着いたとは。
    それには私のブログの存在も運命的に関係していたのかもしれません。
    かつて福生のデペンデントハウス生活を経験されたことのあるこーこさんです。
    毎晩、Skypeで「田舎」と「都会」を結んで家内と定時連絡する日々が1年続いています。
    いろいろなテーマで感じたこと、気づいたことを話しあってきました。そこから「田舎暮らし」がどんなに難しいか理解できつつあります。
    ソーシャル・キャピタルの恩恵に与るには、まず自分の体力が相当ないとだめなこと。
    田舎/都会でなく、生活が地に着いていて知恵のあるコミュニティが存在する地域をみつけること。
    など、すでに地方で生活を始めている別な知り合いからも多くのことを教えてもらいます。
    かつて東京でコンセプターをしていた友人は、仕事で知り合った遠野の地へ家族で移住してグリーンツーリズムの仕事をしています。彼のブログを紹介しておきましょう。
    「遠野山里暮らしな日々」
    http://d.hatena.ne.jp/tokuyoshi/

  6. 栗田 より:

    fuRuさんのブログに、こーこさんがたどり着いたとは。
    それには私のブログの存在も運命的に関係していたのかもしれません。
    かつて福生のデペンデントハウス生活を経験されたことのあるこーこさんです。
    毎晩、Skypeで「田舎」と「都会」を結んで家内と定時連絡する日々が1年続いています。
    いろいろなテーマで感じたこと、気づいたことを話しあってきました。そこから「田舎暮らし」がどんなに難しいか理解できつつあります。
    ソーシャル・キャピタルの恩恵に与るには、まず自分の体力が相当ないとだめなこと。
    田舎/都会でなく、生活が地に着いていて知恵のあるコミュニティが存在する地域をみつけること。
    など、すでに地方で生活を始めている別な知り合いからも多くのことを教えてもらいます。
    かつて東京でコンセプターをしていた友人は、仕事で知り合った遠野の地へ家族で移住してグリーンツーリズムの仕事をしています。彼のブログを紹介しておきましょう。
    「遠野山里暮らしな日々」
    http://d.hatena.ne.jp/tokuyoshi/

  7. fuRu より:

    こーこさんは、栗田さんのお知り合いだったのですね。
    どちらから来られたのかなあ、なんて思っていたところでした。
    >ソーシャル・キャピタルの恩恵に与るには、まず自分の体力が相当ないとだめなこと。
    ほんとにそうだと思います、体力、ですよね。身体が動かなくてはなんにもならない。
    僕が田舎暮らしに関心がある一つの理由は
    そこでは、地に足の着いた生活に真摯に向かい合う必要があるからなんだと思います。
    しかし、この本を読んで、そうした地に足の着いたコミュニティというのは
    田舎にあって、都会にない、というような単純なものではないということを教えられました。
    そして、地に足の着いたコミュニティの維持と活性化には体力がなくてはならないだろうということです。
    逆に、田舎暮らしを目指さなくとも、都会に住んでいても、ブログをやっていても
    地に足の着いたコミュニティに所属したのならば、体力が必要と言うことです。
    体力の必要性を今更ながらに感じています。

  8. fuRu より:

    こーこさんは、栗田さんのお知り合いだったのですね。
    どちらから来られたのかなあ、なんて思っていたところでした。
    >ソーシャル・キャピタルの恩恵に与るには、まず自分の体力が相当ないとだめなこと。
    ほんとにそうだと思います、体力、ですよね。身体が動かなくてはなんにもならない。
    僕が田舎暮らしに関心がある一つの理由は
    そこでは、地に足の着いた生活に真摯に向かい合う必要があるからなんだと思います。
    しかし、この本を読んで、そうした地に足の着いたコミュニティというのは
    田舎にあって、都会にない、というような単純なものではないということを教えられました。
    そして、地に足の着いたコミュニティの維持と活性化には体力がなくてはならないだろうということです。
    逆に、田舎暮らしを目指さなくとも、都会に住んでいても、ブログをやっていても
    地に足の着いたコミュニティに所属したのならば、体力が必要と言うことです。
    体力の必要性を今更ながらに感じています。

  9. りりこ より:

    こーこさんみっけ!
    ご無沙汰してます。りりこです。
    わが両親も15年以上前に八ヶ岳に移住。
    同じころに移住した人たちはみなさん組に入られたようですが
    ここ5年ほどの間に越された方は組には入られないようです。
    それでもゴミは捨てるし、回収には物を出すし、お祭りには参加している。
    草取りも雪かきも参加しないで、そういうのってなんか変だなと感じています。
    うちはとうとう70代半ばを過ぎた実母ひとりぐらし車ナシという暮らしになり
    ご近所には本当にお世話になっている上に、
    組のお役目も免除していただいているようです。
    それまでいろいろやってきたからこそのことで、
    若くなくなったら新しい住人たちは
    八ヶ岳南麓から撤退せざるを得なくなるのではないかと感じています。

  10. りりこ より:

    こーこさんみっけ!
    ご無沙汰してます。りりこです。
    わが両親も15年以上前に八ヶ岳に移住。
    同じころに移住した人たちはみなさん組に入られたようですが
    ここ5年ほどの間に越された方は組には入られないようです。
    それでもゴミは捨てるし、回収には物を出すし、お祭りには参加している。
    草取りも雪かきも参加しないで、そういうのってなんか変だなと感じています。
    うちはとうとう70代半ばを過ぎた実母ひとりぐらし車ナシという暮らしになり
    ご近所には本当にお世話になっている上に、
    組のお役目も免除していただいているようです。
    それまでいろいろやってきたからこそのことで、
    若くなくなったら新しい住人たちは
    八ヶ岳南麓から撤退せざるを得なくなるのではないかと感じています。

  11. fuRu より:

    こーこさんとりりこさん、と、これまた声に出していて響きが良い組み合わせに
    不思議なものを感じてます。
    いろいろなところで話題になる、団塊の世代の一斉定年退職。
    大量の未就労者が世に送り出されるということなのですが
    特に団塊の世代には田舎暮らしを希望される方が多い傾向にあるという調査があります。
    そこで、一攫千金と、田舎移住計画にあわせるような、過疎地でのニュータウン、あるいは別荘地の計画が
    これからどんどん実行されるような気配もあります。ここで一儲け出来るかどうか、目を皿のようにして状況を分析している人も少なくない。
    でも、りりこさんが言われているような、世代から世代につながってゆくような仕掛けを無視すると
    「八ヶ岳南麓から撤退せざるを得なくなるのではないか」
    ということになってしまいますよね。
    「ソーシャル・キャピタル」が有効に機能していることが、いかに大切かってことだと思います。

  12. fuRu より:

    こーこさんとりりこさん、と、これまた声に出していて響きが良い組み合わせに
    不思議なものを感じてます。
    いろいろなところで話題になる、団塊の世代の一斉定年退職。
    大量の未就労者が世に送り出されるということなのですが
    特に団塊の世代には田舎暮らしを希望される方が多い傾向にあるという調査があります。
    そこで、一攫千金と、田舎移住計画にあわせるような、過疎地でのニュータウン、あるいは別荘地の計画が
    これからどんどん実行されるような気配もあります。ここで一儲け出来るかどうか、目を皿のようにして状況を分析している人も少なくない。
    でも、りりこさんが言われているような、世代から世代につながってゆくような仕掛けを無視すると
    「八ヶ岳南麓から撤退せざるを得なくなるのではないか」
    ということになってしまいますよね。
    「ソーシャル・キャピタル」が有効に機能していることが、いかに大切かってことだと思います。