東京郊外のニュータウンで一昨日の晩に遭遇。
薄暗い街灯が点と点で灯る町並みに
突如こういう風景(?)が僕らの目の前に出現しました。
町の皆さんといっしょにクリスマスを盛大に盛り上がろうということなんだと思いました。
正面だけではない徹底ぶりがすごい。
実はよく見ると道路側から見えない面もきらきらしていました。
なんだか、こういうのを見ていると
景気が悪い顔もほころぶというか
ちょっと、あきれながらも
「来年は、いいこともあるさあ」って、言ってくれる。
そんな気がするというと、脳天気すぎるかなあ。
そうそう、最近は電球もLEDになって
消費電力もずいぶんとおさえられるような電飾が売られているようです。
それ故、飾り付けは年々・・・・。
ひゃ〜!絶句。
これは都会ならではですな〜。ここら辺でこれをやったら、確実に取材が来ます。マジで。去年サンタが上ってるのつけたら、「泥棒では?」って通報がすごくて〜って新聞に載っていましたもん。勿論地方版だけど。
いやいや、これは東京都だけれども、郊外の霜も降りるニュータウンのなかです。
このニュータウンの住人に聞くと
このくらい盛り上がっておられる方は、やはり横綱級とのこと。
5段階評価でレベル5です、とおっしゃっておられました。
思うに、こういうのは郊外ニュータウン特有の現象ではないかと。
その原因については、もっと深く考察される必要があるでしょう。
マティスの装飾性という問題ともつながった
建築の装飾性に関わる興味深いテーマです。
http://af-site.sub.jp/blog/archives/000314.html
(ちょっと、真面目にコメント。)
えっと、凄く的を外れた事書いてしまうかもですが。
是か否かという感想を超えて、この過剰な装飾は「空虚」感を創造しているような気が致します。
アメリカのサバービアン文化の空虚さっつうか、巧く言えませんが嘘くささに通じる何かがあるような気がしますね。
何かやっぱり「個」を主張したくなるのが人間だけど、過剰になれば、なぜか又埋没しちゃうみたいな・・・。だってそこには「何の為に!」っていう突込みが横にあるんですもの。
ごめんなさい。何か稚拙なコメントで。
kazooさん
>「空虚」感を創造している
>なぜか又埋没しちゃうみたいな・・・
僕もそう感じました。
ただ、こういうパワーは街には必要だと僕は思っています。
光る一軒
ここのお宅はクリスマス飾りが毎年少しずつ増えていくので通るのが楽しみだったが、
クリスマス飾り
帰宅途中でみつけた家。
お店かと思いましたが個人住宅でした。
家の中が真っ暗で外の電飾だけが光っていると
きれいというより何だか不気味にさえ思えて…