K100D 1/160s f7.1 iso200 18mm (Photoshopで調整)
東久留米郊外は畑が広がっている。
昔ながらの農家も多い。
そういうところには、土蔵が今もちゃんと残っているのだが
それが、壊されていた。
今の時代、土蔵は有用性を失ってしまった。
壊されてしまっても、誰も止められない、いたしかたない。
つくるのにどれくらい時間がかかっても壊すのは一瞬だ。
土蔵を造る技術は人の技術だ。
機械の技術でもなんでもない。
人が長い時間を掛けて築き上げてきた技術だ。
そうした技術が、一瞬のうちに壊されてしまう。
こうして、技術というものは失われてゆくのだろうか?
やっと見ることができました。
書き込みはどうかな?
こういった蔵が壊されてしまうのは寂しいですね。
作れる人も材料も減ってしまうのでしょうね。
アクセスできるようになりましたか。
たぶん、Snapというスクリプトの仕業ですね。
こういうのは、よくわからないですねえ。
それはともかく、こういうものが壊されてゆくことに対して
私たちが何も出来ないということなんですよね。
うーん、・・・うなってしまうばかりです。