10月12日。紫外線が眩しいお昼前に上小沢邸を見学させていただきました。
広瀬鎌二によって設計された上小沢邸は1959年に竣工し、その後、建築家神保哲夫氏と住まい手の上小沢氏の二人三脚で手が加えられ、今も愛され住まい続けられています。
このように、愛され続けている建築を拝見させていただき、さらには住まい手である上小沢さんのお話をうかがうと、そこにある愛の奥深さに深い感動さえ覚えます。
玄関でありピアノ室である最初の空間には
奥の水まわりへつづく土間があり、
この土間はくつ脱ぎにもなっています。
この土間とピアノ室とは視線をさえぎるものもなく一体となっており
さらには、南北に大きな開口部があるために
室内はどこまでも延びてゆくようで狭く感じません。
44.64平米の平屋建ての空間を無駄なく隅々まで使い切りながら
視覚的にはもっと広い感じがあるのはさすがです。
その玄関・土間・ピアノ室からは
南の大きな開口の向こうに紅いフェラーリが見えていました。
そして、その奥はリビングルーム。
キッチン・ダイニング・ベットルームが一つになったプライベートなスペースです。
プライベイトスペースにも
南と北に大きな開口がありますが
それでも中央部分は暗くなるということで
天井にガラスブロックがはめられトップライトになっていました。
その下が食卓です。
丸いガラスブロックから差し込む光は印象的です。
壁を時間の変化とともに様々な表情で照らします。
壁に使われているコンクリートブロックも
一つ一つに表情がありますから、そこには無限大の空間が広がっているかのようでした。
この建物を拝見させていただいて
まるで家具のように作り込んでいると最初は感じましたが
それはちょっと違うな、というのが一日経った今の感想です。
この建物は「家具」というよりは「プロダクト(工業製品)」ではないかと思っています。
ここでいう「家具」と「プロダクト」の違いは何かといいますと
「家具」はローテックな技術でつくられています。溶接も旋盤も必要ありません。
「プロダクト」にはエネルギーを使った機械や工具を総動員した技術力が必要です。
たとえば、「スミレアオイハウス」。建築家増沢洵の住宅の骨組みを小泉誠さんが仕立て直したその家は、「家具」のように作られた家です。手仕事の極みとして手のぬくもりが残るような仕事の集積。それが「家具」。
一方、「プロダクト」には、設計図と施工計画、あるいは生産ラインというものが絶対に必要です。手のぬくもりよりも、計画性それ自体が美しいこと。
「家具」にも、計画性は必要ですが絶対に、あるいは最優先に必要というわけではありません。
「プロダクト」には計画(デザイン)への強い意志があるのです。
このように「家具」と「プロダクト」を区別出来るとすれば
この建物は決して「家具」を目指していたのではないということがわかります。
建築とは何なのか?
その作り方はどうあるべきなのか?
この建物が、今も生き続け住まわれていることと相まって
この建物が、我々建築設計者に突きつけてくる問題はとても奥深いものだと思いますし
そんなことを考えていましたら、頭がふらふらしてきてしまいました。
最後は、離れの納戸で見付けた一つの段ボール箱です。
80歳のご主人が、この建物と過ごしてきた50年近い時間がここにはあります。
50年という時間は、やはりただ事ではないのです。
<追記-1>
今回の見学会を企画しお声をかけてくださった
山本成一郎さんに感謝します。
<追記-2>
この日は夜にOZONEで開かれている
テラダデザインの展覧会に行ってみました。
広瀬+神保+上小沢の禁欲的で厳しい世界に対して
必要なところに必要な欲望を開放する寺田尚樹の開かれた優しいデザインの
そのあまりの両極端な世界を同じ日に体験してしまったわけです。
昨日はお疲れ様でしたm(_ _)m
楽しかったですね♪
僕のブログの方にもコメントいただき恐縮です。
また勉強会や見学会をご一緒しましょうね~(^^)
ピョン太 さま
こちらこそ、感謝感激です。
上小沢邸の感想は、未だにもやもやしたものを吐き出せていませんので
どんどん加筆修正される可能性があります。
そういうものって、なかなかないんですよね。
ほんと、良いものを見せていただきました。
ありがとうございます。