このGWに長岡に帰ったのは
昨年の地震による被災の様子を確認するためでもあった。
長岡ニュータウンにある僕の実家では
10月23日の本震よりも
11月7日の余震で大きな被害をうけた。
上の写真は7日の地震の強い揺れで室内の石膏ボードを留めている釘が抜けてしまい部分的に剥がれてしまった様子である。
建物の内部壁面全般にこのような破損が生じている。
壁面全体は下の写真のようである。
石膏ボードの大きさなりに亀裂が入っているのがよくわかる。
壁の隅にはこういう感じに捩れたあとが残っていた。
石膏ボードは3X6板という畳一枚の大きさの普通のもので
10cm間隔で柱・間柱に釘留めしてある。
石膏ボードどおしの継ぎ目は、パテ処理だけでカンレイシャテープは使っていなかった。
地震による揺れで建物が大きく変形したことをこれらの亀裂は物語っている。
建物が大きく変形したのにもかかわらず、柱・筋交いなど軸組の破損が全くなかった。
それは木材の持つ高い腎性(ねばり強さ)によってであろう。
結果として、地震の揺れを受け止めていたのは、軸組に使われていた木材の腎性と、地震による変形に追従できなかった石膏ボードを留めている釘の引き抜き力であることがわかる。
釘一本一本の引き抜きにたいする耐力は微々たるものだろうが、石膏ボード一枚で何十本と効いている釘の総合的な耐力はそれなりのものになるだろうし、家一軒で言えばその耐力はかなりのものになる。その一本一本の釘が抜けることと、杉などの木材の腎性が助け合うかたちで、大きな地震の揺れが吸収され、建物の崩壊が防がれたのだと考えられる。
震度6強の揺れに対して、木造在来工法の家屋は想像以上に強いと言うことが、被災した実家を検証してみてわかった。
<追記>
被災後半年たった今でもこのような状態であるのは
被災者にたいする援助金の申請中であるからとのことだった。
長岡への道中。関越自動車道の随所に立つ「震災復旧」の文字。
波打つ路面。車窓に見かけるブルーシートがかけられた家々。
長岡ニュータウンにある被災者たちのための仮設住宅。
震災についてのテレビ報道はすでに絶えている。
そのせいもあり、東京で生活する僕にとっては、
いまだ震災の傷跡が生々しく残っている様子を目の前に突きつけられ、複雑な気持ちで帰ってきた。
稲木さんが言ってました。
オレがあと20位若かったら新潟へ行って一から街を建て直す!
一から街を創れるなんて面白いぞーって
あの人なら本当に行って街を建て直してくれるかもって思いました。
援助金の申請中なんて言っていないで、人が動き、活気ずく事が
大切なんでしょうね。
そうすればfuruさんみたいに複雑な気持ちを残して帰る事もないんだろうし…、
自分にやりたいことが無ければソレも楽しいかもって少し思いました。
ひなよしさん
傷跡は想像以上に深いと思いました。
長岡ニュータウンには被災された方々がすむ、仮設住宅がたくさんあります。
しかし、その仮設住宅も、1年半後には撤去されるようです。
い年半後に彼らはどうなるのか?家を失うという事の切なさを感じてしまいます。
少なくとも、被災直後の放心状態からは彼らの精神状態もいくらかは回復していると思いますが
廻りの風景は、傷跡を無残にもとどめています。
長岡ニュータウンの横は車でよく通りました。
長岡ICで降り、柏崎へ行くためです。(紡さんの家)
最近、4年くらいは出掛ける事ができなくなってしまい行っていませんが
開発が遅いのか?なにもなかった所だったと思います。
あそこに仮設住宅かぁ〜と思うと想像できませんね。
えええっ!
奥様の実家は柏崎なんですか。
いやあ、それはびっくり。
よろしくお伝えください。
仮設住宅の数は想像以上でした。
山古志村の方々は全員が長岡ニュータウンで生活しています。
村や集落が丸ごといくつもニュータウンに移ってきています。
全くの想像でしかないんですが。
山古志村の報道の時に強く感じていたんですが、凄く、辛抱強いというか・・・謙虚なお人柄の方が多かったように思うんです。
それが反面、援助の手を緩めているのではないだろうな〜〜と。穿ちすぎでしょうか。
日本人は今ばーーーっと集団ヒスみたいに事が起こると、なりますけれども、飽きてしまえばほったらかし。問題は続いている・・・どころか、深刻化していたりするのに。
こうやって、fuRUさんの所でリアルなお話を伺うと、無力な自分ではありますが、考えてしまいます。
kazooさん
>凄く、辛抱強いというか・・・
当たっていますね。
たぶん、多くの方は想像出来ないと思うのですが
雪の降る量はただごとではありません。
それでも近年は少なくなっていますが、今から20年ほど前の大雪のお正月に帰省した時には
自分の背丈よりも積もっていた屋根の雪降ろしをやりました。
それよりさらに昔。小学生の時はあまりの雪ですべての道路が雪で埋まり、交通が何日かマヒしてしまった事を憶えています。
「辛抱強い」というのは、そういう風土が育んでくれたものだと思います。
ただし、それだからといって援助の手が緩められているとは思えません。
東京などの都市圏に比べてみんなのん気だという事は確かですけれどもね。
去年は災害の年でした。
新潟だけでなくて大雨や台風の被害がすごかったわけで、そういう人たちも同じように被災の爪痕の中にまだいるのかということなんですよね。そんなことを考えさせられました。
先日、新潟市内に行ったのですが、ほとんど無傷。
雪もさほどつもらないようですし、何だか東京と同じ感覚です。
僕らは木造を金物やボードに頼って設計していますが、大きな地震に何度耐えられるか・・・
という視点で考えないとダメですね。
現代の木造は大きな地震1回には強いけれど、
繰り返しにはかなり弱いといえるでしょう。
伊礼さん こんにちは
新潟市内の方はほとんど被害が無かったようですね。
被害が大きかったエリアと小さかったエリアの差は大きいようです。
今回の実家の被害を見て思ったのは
木造在来工法というのは、意外と強いぞということでした。
もちろん、伊礼さんの言われるように
抜けてしまった釘を元通りにしておかないと
ひょっとすると、次に同じような地震がきたら今度こそ壊れてしまうかもしれません。
実家でもどうしようかと言っていました。
石膏ボードをそのまま上から張ることにはなるのでしょうが
石膏ボードよりも杉板の方が良いかななんて考えていましたね。
どちらにしても、地震が来るたびに部屋が少しづつ狭くなってゆくわけです。(笑)