岡倉天心が終の棲家として選んだのは茨城県の北部、福島県との県境に近い五浦海岸でした。その景観に惚れ込んでとのこと。実際にその地に立ち、当時の面影をたぐるように景色を眺めてみれば天心の気持ちもよく理解できるというものです。その天心の住居も最初はおんぼろだったそうですが、周囲の敷地を買い求め、若き画家が集まれる場所を建てるなど芸術家のコミュニティをそこにつくろうとしました。そして、その五浦海岸の岬の突端に自らの設計で六角堂を作ったのです。
岡倉天心のことについて、私は全く何も知らないに等しいのですが、人の書くところによると、明治という新しい時代の始まりに日本美術についての確固たるアイデアをもって望んだとのこと。そのくだりを読むにつけて、並々ならぬ精神的な強さを持った方だと思うわけです。
ところでこの六角堂、実はその背後には巨大な観光ホテルがそびえ立ち(実は私はそこに宿泊したのですが)天心が見ていた五浦の風景は既に大きく様変わりしています。
六角堂のある「茨城大学五浦美術文化研究所」の先の小高い丘の上に「茨城県天心記念五浦美術館」が建っています。内藤廣氏設計の建物で、プレキャストコンクリートの端正な架構が印象的な建物ですが、設計者の言葉通り周囲の景観になじむように作られており、五浦の景色を壊していないのはさすがだなと思いました。
この美術館には天心がやってきた頃の五浦の様子が模型で再現されています。
蛇足ながら、六角堂は12月29日から冬季休業と思って行ったら、27日からお休みになっていて28日(今日ですね)出向いた私はなかを見ることが出来ず遠方から眺めるだけでした。なんともなあ、というところですね。
◯東京芸術大学のキャンパス内にも岡倉天心を祭った六角堂があるそうです。
「六角堂」(aki's STOCKTAKING)
五浦へは、おなじみの吉松・五十嵐のお二方とクリストのアンブレラ展を見に出かけた時、足を延ばしました。
1991年ですから、もう、19年前……大昔ですね。
まだ、内藤廣のミュージアムはなかったし鄙びたところでありました。六角堂と屋敷と「亜細亜ハ一な里」の碑ぐらいしか見るものはありませんでした。
ところで、六角堂は芸大内のみならず、谷中の日本美術院跡にも妙高にもありと、天心ゆかりの地には必ず……あるようですね。
AKi さま
六角堂で検索していたらAKi さんの記事に遭遇しました。そういえば、AKi さんの名前の由来とか読んだことのある内容。いけません。
私の方は天心が自ら設計したといわれる六角堂を遠目でしか見ることが出来なかったのが残念でした。