第三回アースダイビング大会にて
何十年ぶりに東孝光氏が設計された「塔の家」をみた。
都市に住む、ということへの、果敢な挑戦。
その先駆者。
僕はsakura_Houseの設計を依頼されたときに
この「塔の家」を無意識にイメージしていた。
都市に住むということ。
それが、現代において今なお花咲かせる魅力あふれるテーマであること。
その表情は、寡黙だ。
大通りに面した敷地条件では、外に対して開くことさえままならない。
しかし、改めてみると
開口部の配置の適切さや、擬似的な吹き抜けのような空間を外部、玄関上に設けた構成、
その仕掛けに教えられるところが多いのであった。
<蛇足-1>
「塔の家」を東事務所OBのAKIさんとtamさんとともにみることができたのは
この上なくすてきな時間でした。
○ 東孝光先生の最終講義(aki's STOCKTAKING)
○東事務所の電卓(MyPlace)
<蛇足-2>
●「建築家の自邸に表れた家族意識」芹沢俊介←「塔の家」のプランをみることができます。
fuRuさん、こんにちは。U2は大人になってから(30歳代後半)からのファンですが、この「塔の家」のばあい、おそらくは10歳頃からのファンです!! 親のもっていた雑誌で読んで、すごく興奮したのを覚えています。「塔の家」をいろんな角度から撮影してくださっているので、とってもわかりやすいです。そして、意図はされていないのでしょうが、結果として、一番上の写真、次の段の一番左の写真は、masaさんの視線をとらえていますね!! 他の人が上のほうを見ているとき、少し離れたところから、コンクリートの壁をご覧になっています。そして、皆が移動しはじめたとき、入り口のあたりを丹念に撮影されています。
masaさんの『Kai-Wai散策』のエントリー「第3回アースダイビング」のコメントで、Akiさんが「masa さんは、いつものことですが、ずいぶんと違ったものを見ておられますね。」とお書きになっていますが、まさに、その瞬間をfuRuさんは撮影されていたのですね〜(^0^)。
わきたさん
>10歳頃からのファンです!!
うわお!ちなみに、僕は建築の勉強をしようと東京に出てきたときにはじめて知りましたから18の時です。
その時に見た印象とは、今回は少しだけずれていました。
それは、25年くらいの歳月で、少しは僕にも建築の何かが見えてきたからかなと、思っています。
まだまだですが。
それにしても、僕の写真からmasaさんを識別できるというのはすごいですね。
たしかに、群衆が去ったあとに一人残って塔の家を撮影しているmasaさんの姿が写っていますね。
いわれるまで気がつかなかった・・・です。
ちなみに、U2にかぶれたのは、僕の場合、30代後半からです。
fuRuさん。「塔の家」ですが、建築されたのはたしか1966年。この家はもう今年で40年目なんですね。ところで、どの雑誌で読んだのか、なかなか思いだせないのですよね〜。「塔の家」って、なんだか子どもの頃に想像した「秘密基地」っぽいでしょ。子どもの感覚ですね。建築史的な意義付けなんて、まるっきりわかっていませんから。コンクリートむきだしで、コンパクトななかに、きちんとお風呂まであって、それがなんだか子ども心をワクワクさせたのですね。ただ、階段(もコンクリートだった思うけど)に脛をぶつけると痛そうだなあ〜と思いましたけどね(^^;)。それと、たしかトイレに扉がなかったように思うけど。それは、恥ずかしいな〜、臭いな〜と思いました。
ところで、娘が大学で建築を勉強しているのですが、「塔の家」のことは習ったようです(まあ、当たり前ですけど)。娘と建築の話しができて、父としては嬉しいです。「塔の家」は親子のコミュニケーションに役立っています(^0^)。
ところで、「あれっ?なんだろう・・・」てなかんじで、結果として写真に写っている事柄は、おもしろいですよね。そんなのを撮ったつもりはないんですけど。私はmasaさんファンなので、すぐにわかりました(^0^)。きっと、fuRuさんの潜在意識も、masaさんを志向しているのではないですか。
わきたさん
「塔の家」が親子のコミュニケーションに役立っているなんて素敵ですね。
うちの子供たちも建築に興味を持って育ってくれるといいのですが、こればかりはわかりませんね。
それから、写真にはわきたさんがおっしゃるように
撮影している人の無意識が写っているかもしれませんね。
無意識というとあれですが、記憶に残らないような軽い意識とでも言ったらいいでしょうか。
わきたさんの言葉では「潜在意識」ですか。
さらに、masaさんの写真は
いつも僕を引きつけます。多くの人がそうなんだと思うのですね。
それはmasaさんの写真がいかに魅力的かということなんですが
同時にそれはmasaさんのまなざしの魅力でもあると思います。
ははは、masaさん論になっちゃいました。
塔の家
「塔の家」の主、東孝光さんには全くお会いしたことが無いのだけれど 玉井さんのエントリーで知った電卓のエピソードはとても印象的でした。
わきた さんが興味を持たれたのが10才の頃というと、1968年ですね。私が「塔の家」の前に立って、この事務所に入ろうと考えたのが、1968年4月ですから、わきた さんと同時期と言えるわけです。
東さんから聞いた話ですが、まぁ数年前、建築学会か建築家協会からか、なにか認定されて「大事にしなさい…..」とか、てなことを聞きました。今ではそんなお墨付きを与えられるような事になっています。
しかし、これが建った1967年、これ自体を建築とは考えない…….というような雰囲気があったと思います。あまりに過激すぎて、建築界、建築業界では異端視されていたと思います。若い設計者や編集者、そんな連中に支持された一つのカルト…..というような物でした。ところが、それを設計しそれに住む東孝光が、阪大、郵政省営繕、坂倉事務所という、あまりにお堅いキャリアで、それ又不思議がられたものなのでした。
Akiさん、fuRuさん、こんばんは。
東先生がそれほど偉大な存在とは知らずに、といいますか、東先生ののお
名前も存じ上げず(子どもだから当然なのですが)、ただ「塔の家」にひきつ
けられていました。まあ、当時は、「建築」には関心はありません。ただ、不
思議で、カッコイイ建物という印象だけが子どもの心に強く残ったのでありま
す。いったい、何の雑誌で見たのか、謎です。「塔の家」を知った年代につい
ても、少し自信がなくなってきました・・・(^^;;;。
娘が大学の講義で習うような、そういう意味で評価の高い建築物であるに
もかかわらず、業界の権威からは異端視されていたとは、知りませんでし
た。「なんだよ〜、ほんとに」という感じ。誰が言ったか忘れましたが「先駆
者とは、初めはつねに異端者である」という感じですね。
この東先生のお宅には、私と同い年ぐらいの女の子がいたましたよね。もう
私がオッサンであるように、オバチャンなんだろうけど(^^;。
わきた さん、fuRu さん、どうもです。
東ご夫妻のオバチャンじゃなかった、お嬢さん、東利恵さんです。1959年生まれで建築家です。東 環境・建築研究所の代表をされています。探したらウェブサイトがありました。
http://www.azuma-architects.com
Akiさん、こんばんは。
お嬢さんのお名前は理恵さんというのですか。
なんだか、ランドセルを背負っている小学生のイメージがあります。
これも、雑誌のせいだろうか・・・。
それはともかく、驚きました!!「東環境・建築研究所」のウェブサイト。
「塔の家」が建てられた当時の周りの風景が一緒に写っていますね。
周りの木造平屋の住宅や、どうも木製らしい(?)電信柱が見えますよ。
いや〜、すごいな〜、これは!!周りの風景は、全然違いますよ。
車庫に入っている車は、なんだろうか。気になります。
あっ、女の子が「塔の家」の前を歩いていますよ、ひょっとして理恵さん?
Akiさん、すばらしい歴史的資料の存在をご教示いただきました。
ありがとうございます。
そうか、Akiさんは、こんなまわりの風景のなかにある「塔の家」の入り口
に座り込みをされたのですね。そして、地下室でお仕事をされていたわけ
ですね〜。
ああ、なんだか感動です(T-T)です。
「塔の家」のこと
■このブログで何度も繰り返し取り上げてきましたが、先月の28日、「第3回アースダイビング@江戸東京地下水脈」が開催されました。
(「えっ!?何それっ」という方は…