先日、日原を歩いているときに
特徴的な連続するボールト屋根が眼下に見えました。
聞けば奥多摩工業の独身寮だったところだそうです。
今は、もう廃虚となっていますが
中にはホールもあって、ディック峰も来たんですよと、嬉しそうに顔をほころばせる古老に
当時の華やかなりし時間が一瞬よみがえったようでした。
そして、こちらは近くにある世帯寮。
今でも二、三世帯が住んでいるそうです。
奥多摩工業は日原で産出された良質な石灰岩を採掘していました。
石灰岩を氷川まで移送するための鉄道もあり
当時使われていた車両が廃校になった小学校の校庭に置き去りにされていました。
石灰岩の移送に使った鉄道の様子は
こちらのホームページに紹介されています。
○「奥多摩工業曳鉄線」(時刻表にない鉄道を求めて)
奥多摩工業の歴史を調べており
こちらのページに辿り着きました。
石灰石移送の鉄道に関してですが2台稼働していたみたいですね。
恐らくその鉄道に番号がかいてあるのですが、1番ですよね?
上のURLにその弟と言える2番の表記がある鉄道が廃鉱に残ってるようですね。
はじめましてさま
はじめまして。
そうですね。よく見ますと数字の「1」が書かれていますね。
こうなると、弟分の「2番」も見てみたい気がします。
この「1番」は日原に行けばいつでも見ることが出来ます。