「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」
著:坂口恭平 出版:太田出版
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著者の言う「都市型狩猟採集生活」というのには、ちょっと「?」でしたが、本書の内容については大いに共感できる部分がありました。
一番面白かったのは省エネ生活。人間はどこまで省エネで生活できるのか。この大いなる問の答えは路上で暮らす人々の生活にあります。自分の体にぴったりあったダンボールの箱に身を埋めれば体温だけでずいぶんと暖かく快適に眠ることができる。配給される一日二個のおにぎりと、あと少しの食べ物で十分にお腹いっぱいで元気に暮らせる、とか。
面白いなあ、面白いなあ、と気に止まったページの端を折っていったら、ずいぶんと沢山のページの端が折れていました。
おられた頁から拾い上げてみましょう。
世間体や見栄とも無縁な、人間にとっての巣
なぜ電気はいつもつながっていないといけないのか。水道はいつでも出せるようになっていないといけないのか。ガスだってそうだ。それは使う分量がわかっていないからではないか。
そもそも家とインフラはセットではないのだ。
彼は今の社会システムから独立して生きるために、独自のインフラを獲得しようとしているのである。(隅田川のエジソンさんにたいして)
多摩川や荒川で暮らす先人たちの家を見てみよう。
自分の手でつくられた彼らの家は、いつでも変化させることのできる、言ってみれば、死んたの延長線上のような空間だ。
自分で住む場所は、自分でどうにかする。そして、壊れてもタンコブが出来るくらいの家に住む。これこそが、人間の巣の根源的な姿だ。
今の大工というのは、カットされてきた材木を組み立てるばっかりだから、ゼロから家を建てることはできないんですよ。(多摩川のロビンソン・クルーソーの言葉)
多摩川の土は肥沃だと思われているかもしれませんが、すぐ近くに海があるので水質の塩分濃度が高く、農業に適している土壌ではありません。なので、ちゃんと塩分濃度を測定する機械を買ってきてチェックしながら、どんな土づくりをすればいいかを研究しています。(多摩川のロビンソン・クルーソーの言葉)
東京という、完全に管理されていると思われている大都市でも、土地という呪縛から解き放たれ、商品化された家という妄想を剥ぎとり、ブラックボックス化している水道・電気・ガスなどの都市機能とは別のインフラを入手し、自給自足を行ない、独立している人間がいる。
こんなこと、社会主義の国ではぜったいにできないよね。みんなが等しく働かなくてはいけないんだから。これは資本主義だからこそ出来るんだよ。
こうした本書の言葉には、家づくりとは何か?家とは何か?という根源的な問いかけがあって、それが、いろいろなことを考えさせられる刺激になっていると思います。ハーフビルド的思考がここにはぎっしりと詰まっているとも思いました。
<追記>
猪谷六合雄が出てきたのにはびっくりしたが、全編にわたり読んでいると川合健二の名前が脳裏をよぎる。著者は早稲田出身。たぶん石山研でしょうか。
ああこの本、読みたいと思っていたんですよ。
「隅田川のエジソン」とか、なんだか楽しそうですねぇ。
kassさま
まさに楽しい一冊です。
特にkassさんには素敵な本ではないかと思いますよ。
この人のゼロ円生活の本では非常に共感しました。この本も同じような主旨のようですね。今度読んでみたいと思います。
現代の生活には無駄なエネルギーの消費が多いなと思っています。
maida01さま
都市型狩猟採集生活にはジャズのリズムが流れているかもしれません。
TOKYO 0円ハウス0円生活 /ゼロから始める都市型狩猟採集生活
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