「治療塔」 大江健三郎 著
岩波書店 ISBN4-00-001360-2 定価 1300円(税抜)
「へるめす」という雑誌があった。
僕が大学生の時だから、いまから20年ほど前になる。
当時は「ニューアカデミズム」が闊歩して歩いていた。
その一連の流れのひとつが この岩波から出ていた雑誌「へるめす」である。
「治療塔」はこの「へるめす」の第20号から第24号に連載されていた。
1989年7月から1990年3月の話だ。
僕は愛読していた「へるめす」でこの小説を読んだ。
そして、単行本で出た時も読み
今また繰り返し読んだ。
連載時のタイトルは「再会、あるいはラスト・ピース」。
SF小説である。
度重なる原発の放射能汚染などで汚れきった地球から
「新しい地球」へ「選ばれた者」が飛び立った(大出発)。
そして、10年後。飛び立った彼らは古い地球に舞い戻ってきた。
「選ばれた者」たちは「新しい地球」で「治療塔」と呼ばれることになる
不思議な建造物に遭遇する。
この建造物は誰がいつ作ったのかまったくわからない。
しかし、この建造物の中で過ごすと
人体に蓄積した疲れは取れ、それどころか若返る効果があるのだ。
「新しい地球」の過酷な自然条件で痛めつけられた人々の身体は
この「治療塔」で再生されることになる。
しかし、それ以上に「新しい地球」の環境は厳しかった。
そこで、「治療塔」で再生した新しい肉体をもって
古い地球に戻り、古い地球を建て直そうという決断がなされたのだ。
「選ばれた者」の日本の代表である
スターシップ公社の「隆伯父」はこう言う----
----われわれは宇宙に進出した。その惑星こそ、人類が文明の最終段階でやっと辿りつきえたところだった。いいかえれば、文化を守りつたえるために進出せざるをえなくなったところでもあった。そこを「新しい地球」と名づけたが、ほかならぬその惑星に「治療塔」が建造されていたのだ。もし「神」という概念を採用するなら、かつて地球にあった宗教の「神」とはちがう、また残留者が最後にかちえた「世界宗教」の「神」ともちがうものによって。宇宙の根本をなす「神」の意思が働いていた、と考えるほかないように思うよ。
そのような「神」が実在するとして、自分は科学者でこういう仮定には慣れていないけれども、しかし「治療塔」は現実だったのだからね。その根本に「神」があるなら、地球の人類というものは、宇宙の誕生以来、「神」が作り出した知的生物の、最後のものではなかったのか?最後の作品(ラスト・ピース)として、われわれが唯一、残っているということではないか?大出発前、われわれはできうるかぎり宇宙を探索したが、知的な生命体の手がかりは見つからなかったのだからね。おそらくはあるとすれば、われわれだけだ。ところがいまやそれまでが滅びようとしているんだよ。そこで「神」が手をうったのじゃないだろうか?最後の手なおしを加えようとしてね。これまでは「神」として決してやらなかった、かれ自身の作った自然の秩序に反する手なおしを・・・・・。
「へるめす」という雑誌はなくなり、「ニューアカデミズム」も世間で騒がれなくなった今でも
この大江健三郎の小説はいまだに僕の目の前に新鮮な姿で存在している。
ちなみに、武満徹が最晩年に作曲していたオペラはこの「治療塔」である。
結局、完成を待たず武満は他界してしまうのだが
武満と大江の対談である 岩波新書「オペラをつくる」を読むと
「治療塔」というオペラが完成していたら・・・と、思わずにはいられない。