「無級建築士自筆年譜」
著:松村正恒 住まいの図書館出版局 住まい学体系060
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敬愛する建築家泉幸甫氏からの熱烈なる推薦。
ずっと前に、松村氏のことを尊敬しておられた知人がいましたが、その人のおかげで松村氏の名前も日土小学校も知っていました。泉氏からこの本のことが話題になった時も、ああ知っている、と。でも、知っているって、なにを知っているんだか、というわけで、やはり本を手にするわけです。
痛烈な言葉が、本の随所に現れます。その言葉がどこからくるのか、それが問題です。それがこの本の一番の問題です。
「建築は誰のものか?」
問題の通底に響きわたる言葉。
建築は、所詮器に過ぎないのです。それでいいのです。今のように自分のしたいことをやろうということではないのです。だからわたしは、誰が設計したのか、などということはどうでもいい。いい学校ができれば、それでいいのです。(P116)
そして、愛される学校は誕生し、建築家亡き後も愛され続けている。
建築家として愛されるというのは大変なことです。
昭和35年の文藝春秋にて建築家十傑に選ばれます。
他はというと、前川國男、丹下健三、村野藤吾、池辺陽、芦原義信、菊竹清訓、谷口吉郎、白井晟一、吉阪隆正。開いた口がふさがらないような巨匠たちの中に松村正恒の名前があるということ。
「建築は誰のものか?」
もう一度問う、自分自身に。
その反対側に「建築家とはいったい何者なのか?」という問があります。
「建築は誰のものか?」「建築家とはいったい何者なのか?」
永遠に繰り返される自問自答の問いかけ。
私は少なくとも「建築は私のものであり、私のものではない」と言いたい。
松村正恒の言葉は重く、深く我々の心の奥に響き渡るのです。