「「自分の木」の下で」 大江健三郎 著
朝日新聞社 ISBN4-02-257639-1 定価 1200円+税
大江健三郎が初めて子供たちの為に書いたエッセイ。
ただし、この本がもっているメッセージは
子供だけに向けられてはいません。
本書のなかで大江さんが言っているように
「大人の自分の中に子供の時の自分がずっとつながっている」ということが
この本を通しての通奏低音になっています。
この本には16のエッセイがおさめられています。
そのうちのいくつかについて感想のようなものを書きたいと思います。
・「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」
著者が、戦中から戦後にかけて劇的に変わってしまったイデオロギーのその断絶について、誰も知らないふりをしている、そんな戦後の世の中で、その矛盾を精いっぱい受け入れようとした、その結果としての表現といってもいい、今でいう登校拒否の行動を取っていた時に
山中で発熱し、生死をさまようような体験をします。
----自分は死んでしまうのだろうか・・・・・
----もしあなたが死んでも、私がもう一度、生んであげるから、大丈夫。
----・・・けれども、その子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?
----いいえ、同じですよ、と母は言いました。私から生まれて、あなたがいままで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたが知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。
この不思議な体験と、母の言葉を通して
「死と再生」という、世代を超えてつながってゆくことが語られます。
自分の子供が養護学級で友達をつくる様子。
そこにも、人と人がつながってゆくことが語られています。
人と人とがつながってゆくこと、あるはその為の言葉、音楽等々。
それらを学ぶ場としての学校ということ。
・「どうして生きてきたのですか?」
谷間の人にはそれぞれ「自分の木」と決められている樹木が森の高みにある・・・。
たまたま「自分の木」の下に立っていると、年をとってしまった自分に会うことがある。
大江さんは「自分の木」の下に立ち、年老いた自分に向かって
----どうして生きてきたのですか?
と質問をしたいと思いました。
そしていま、年老いてみて、少年の自分からのその質問に答えるために
自分は小説を書いてきたのではないか、と思ったそうです。
それから、子供たちに向けて「自分の木」の下で直接話をするように書きたいと思ったそうです。
それがこの本が生まれるきっかけです。
大江さんはドイツの日本人学校で
子供たちの作文を手なおししました。
大江さんは「添削」とか「推敲」という言葉を使いません。
「エラボレーション」--elaboration という言葉を使います。
辞書を引くと
1、骨を折ってしあげること
2、手の込んでいること、精巧さ、綿密さ
3、苦心の作、労作
などとあります。
大江さんは子供たちと一緒に文章をつくりあげてゆく、磨き上げてゆく
そういう作業として「elaboration」という言葉を使っています。
小沢征爾さんがオーケストラを指導している様子がまさにエラボレーションの好例であることにもふれられています。
僕のブログでも別のエントリーで
「武満徹のエラボレーション」についてふれたことがあります。
そこで大江さんが語っていたのは、武満徹さんが自分の作品を磨き上げるように作曲していたこと、
その仕事は、音楽と小説というまったく違ったジャンルではあるけれども、自分の仕事にも影響を与え、お互い影響を与え、そして互いに自分の仕事を磨き上げるようにすすめてきたこと。その相互関係が大切だということ、でした。
大江さんのエラボレーションは、上からの一方的な力によるものではなく、相互関係を大切にして、お互いに創造してゆくということです。
僕の仕事である設計、特に住宅の設計では、住まい手とのエラボレーション(大江さんの言う)によってすすめることが大切であると考えていたので、とても印象深いものを感じました。
そして、「生きる」ということと「つながる」ということが、深く共鳴している、そういう世界観に、僕も強い共感を覚えます。
さて、この本ですが、その他に「うわさへの抵抗力」というエッセイなど、多くの人に読んで欲しいメッセージがたくさん詰まっています。
アマゾンで調べると 大江健三郎さんの本では一番売れているようです。
「同時代ゲーム」を読み切れなかったひとも(僕もそうですが)
大江さんの、語りかけるような口調のこの本は、素晴らしいメッセージが込められていていますので、
ぜひ読んで欲しい、
さらに多くの人に読んで欲しい、と思った本です。