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今年の初めに始まった「新シルクロード」も最終回を迎えた。
25年前の「シルクロード」は西安から始まってカシュガルに終わったのだが
今回の最終回は西安。
「シルクロードは西安に始まり西安に終わる」その言葉。
(↑写真は西安駅前の広場。)
10年前にシルクロードを旅しようと思った僕らは
まずは西安をめざした。
成田から上海に飛び、その日のうちに西安へ。
上海の空港で国内線に乗り換える方法が分からなくて
必死に英語が分かる人を探したことを昨日のことのように思い出す。
1995年8月23日、夜。僕らは西安にたどり着いた。
あれから10年。西安はデジタルシルクロードとして生まれ変わろうとしていると
番組では紹介されていた。
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番組で紹介されていた西安の城壁。
それは恐ろしく大きい。
結局、あわただしく過ごした西安。
23日の夜に到着して27日の列車に乗ったので、その全貌をたどったわけもなく
ただただ、西安駅から歩いてゆける城門の上を
恐ろしく暑い思いをしながらそぞろ歩いた体験しかなかったが
その大きさは想像を超えている。
一言で言えばスケール感が全く違うのだ。
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こんなものをつくった唐という国(写真のところは明の時代のもの)はいったいどういう国だったのか。
それは歴史をひもとくことでしか知るすべもない。
その大きさだけが、現代の地図の上になぞられる。
それだけ、広大な領土を支配しようと思ったのは
人を征服したいという野望からだろうか?
しかし、野望とはなんだろう。
野望という言葉には政治的な、戦略的な響きを感じる。
しかし、政治とは一つの約束の上に成り立つ限定された世界の中での話ではないのか。
とすれば、生活のルールまでまるで異なるオスマントルコまで手を伸ばそうかという
その思いを支えていたものは
おさえがたき「好奇心」そのものだったのではないだろうか。
僕らがシルクロードを旅したのも
それは異国への誘い、つまりは好奇心からだ。
人を世界の果てまで突き動かすもの、それは好奇心だろう。
そして、西安には人々の好奇心を満たすべく、万物が集まる、そしてそこから流れる。
それこそがシルクロード。
その好奇心は、資本と結びつき
開発の手となる。
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僕らが西安を訪れた10年前も建設ブームだった。
今回の放送で見ると、現在はその何倍も開発へのエネルギーが注がれている。
人間の持つ好奇心の矛先はどこに向けられているのだろうか?
人の好奇心が発信される場所としての都市。
西安は現代の「永遠の都(=都市)」として
インターネットのインフラを整備しデジタルハブとしての都市になろうとしているようだ。
そこに新しいシルクロードが生まれるのかもしれない。
