オースターの「空腹の技法」のなかにおさめられている
インタビューで、
オースターが興味深いことを言っているので、引用してみよう。
私の作品に一番影響を与えているのは、おとぎ話、つまり物語を声に出して語りつたえる伝統だと思う。グリム兄弟、千夜一夜物語、子供に読んで聞かせる類いの物語だ。いわば語りの骨子だけで出来ていて、細部はろくにないのに、膨大な情報がわずかな時間にわずかな言葉で伝達される。おとぎ話が証明しているのはおそらく、読み手にーーあるいは聴き手にーー物語を語っているのは読み手や聴き手自身だということだろう。テクストは想像力のスプリングボードにすぎない。「昔むかし、ある女の子が、大きな森のはじっこでお母さんとくらしていました。」少女の顔立ちも、家の色もわからないし、お母さんは背が高いか低いか、太っているかやせているかもわからない。わからないことだらけだ。だが、そうしたことを我々の頭は空白のままにしておかない。自分で細かい点を埋め、みずからの記憶や体験に基づいてイメージを創る。だからこそ、この手の物語は、我々のなかでこれほど深く反響する。聴き手が物語に積極的に参加するんだ。
僕の仕事は建築の設計だ。
主には個人の住宅の設計を行っている。
住宅には住まい手がいる。住まい手がどのような家を望むのか、その住まい手にはどのような家がふさわしいのか、それを探ってゆくのが設計の仕事だと思っている。
そこには、住まい手が参加できる余地が必要だ。余地がないといけない。
僕らがやること、僕らに出来ることとは、オースターの言うようなおとぎ話を書くことなんではないだろうか。
僕らはおとぎ話を書き、それに住まい手が肉付けして、みずからの物語にしてゆくこと。
僕にとっての理想的な設計というのはそういうものなのである。
そこには、偶然を語ることの喜び。
偶然に振り回されるのではなく、喜んでそれを享受しようという生き方が、そこにはあるのだと思う。
幸せな家づくりのヒントは、そういうところにあるのだと最近思っている。
これは、先に書いた翻訳と設計にまつわることにもつながっている。
○「村上春樹と柴田元幸のもうひつとのアメリカ」--三浦雅士
○「翻訳夜話」--村上春樹・柴田元幸
<追記>
この記事を書き終えていた僕のブログの
musical batonのエントリーに
CRONOFILEの栗田さんがTBをくださった。
栗田さんの書かれた記事は「Meme」。
Memeがいかなるものかは、実はその実態をちゃんとつかんだわけではないのだが、栗田さんの記事にコメントされているmjさんのコメント、それに対して僕がつけさせていただいたコメント、そしてそれに対するmjさんのコメント。そのやりとりがものすごくおもしろかった。
そちらのやり取りを見ていただけるとわかるのだが、僕がこのオースターのおとぎ話の記事で書きたかったことに、とても気持ちのよい刺激を与えてくれたからだ。
はじめまして。mjと申します。
CRONOFILEさん経由で参りました。
わたしのとっても、ミームについてのやりとりはとても面白く、
良い刺激を与えていただきました。ありがとうございます。
上に引用されたオースター氏のことばを読ませていただいて、驚きました。
ミームの説明としてもそのまま使えそうです。とても興味深いので、
もしよろしければ、私のホームページでご紹介させていただきたいと
思うのですが、いかがでしょうか。具体的には、上のインタビューの引用と、
こちらのページのご紹介と、リンクです。
mjさん こんにちは
栗田さんのところ(ブログ)でお会いしているので
はじめまして、というわけでもないような・・・・。
さて、もちろん、リンクしていただいてけっこうです。
逆に、そういうかたちでつながってゆけるのは、とてもうれしいです。
僕は今「利己的な遺伝子」を少しづつ読み始めています。
作者であるドーキンス氏の戦略的な視点がかいま見えて興味深い本ですね。
読み終わったら記事にしたいと思っていますが、
ちょっと時間がかかりそうです。
fuRuさま。
はじめまして、って感じでも無いですね。はじめておじゃまするので、ちょっと緊張したせいでしょうか。
リンクと引用させていただきました。ありがとうございます。
ではまたおじゃまいたします。
つながるミーム
ブログ、CHRONOFILEさんより、ミームつながりで先日トラックバックいただきました。ミームについて、とてもいい刺激を与えていただきました。
なんとこちらは…