家族キャンプの二日目に、私たちは田貫湖の近くにある「小田貫湿原」により、そこから富士山の東側を回って帰ろうと、富士山スカイラインを通って河口湖ー大月へと帰路を定めました。
富士山スカイラインでは御殿場の登山口に立ち寄ってみました。少し登山道を登ってゆきますと、写真の風景に出会います。
土砂の流失が激しいために丸太の土留めとそこに苗木を植えて、木の根の力で土砂の流失を防ごうという試みです。これは人が作ったものですが、富士山の自然の風景になじんでいると思いました。
一方、先に立ち寄った「小田貫湿原」で見かけた風景がこちらです。
がっかりしたことが二つ。
一つは、湿原の枯渇化が進んでいること。
人の出入りによる植生の混乱が原因ではないかと思います。
尾瀬の湿原もどんどん枯渇しています。
せっかくの高層湿原が失われてゆく姿を見るのはつらいものがあります。
そして、もう一つは、写真を見てもお分かりのように、
どうしてこんなところに送電線の鉄塔が??ということなのです。
湿原の核心部の脇を通っています。
湿原の向こうに富士山を見ると富士山の前に立ちはだかります。
このような場所に鉄塔が建ったのはある種の合理的な考えからなのでしょう。
でも、どうして、誰も、このような風景が出現してしまうということに、少しでも心を働かせなかったのでしょうか?電力会社の人も、鉄塔を設計した人も、その工事を請け負った人もです。風景を台無しにしたのは誰の責任なのでしょうか?日本には風景の思想がない、いや昔はあった、現代社会では失われてしまった、それはどうしてなのでしょうか?
富士山の土砂の流失を防ぐために丸太と苗木で風景を作っている人と、何の思慮もなく鉄塔を立て続ける人。対照的な二つの風景が私たちに提示している問題は大きいと思います。