NewHOUSE ムック本「1000万円台で家を建てる」に
7.dd._Houseが再掲載されました。
内容は2005年3月号に掲載されたものです。
というわけで、この機会に、ローコストについて、もう一度考えてみました。
まず最初に、僕は、コストコントロールは得意としていますが
ローコストを得意としているわけではないと、言っておきます。
物事には適正な価格というものがあります。
家づくりにも適正な価格があると考えています。
一方、家づくりと一言で言っても
その方法は様々です。方法の違いで適正価格というものも変わってきます。
それゆえ、そうした方法の違いの如何を問わず、巨大なブラックボックスである建築工事費の
どこに適正な基準を設けるかというのは大変に難しい問題です。
世の中には、建設関係の適正な価格表として
「積算ポケット手帳」のような資料が市販されています。
しかし、そこで公開されている価格は現行の市場価格よりもずっと高いために参考にすることは出来ません。
これは、おおやけに認められている値段では商売が成立しないということであり、
それは、建設の市場価格がすでにダンピングされているということです。
これは、物作り日本を根底から揺さぶるという意味で
ゆゆしき問題をはらんでいるのですが
それについてはまた別の機会にしましょう。
というわけで、私の今までの経験に、設計者仲間の情報を重ねて
これくらいが順当ではないかという適正さの基準をつくることになります。
理想的な形としては
施工者が儲けすぎず、ひどい赤字にならないで、
多少の余裕があって、後々のメンテナンスなどの面倒もお願いできるくらい、というところを狙っています。
そうした適正な価格を前提にする以上、他に比べてとても安いなどという、そんなうまい話は存在しません。
僕はローコストを得意としているわけではないというのは、そういう意味です。
このニューハウスのムック本で紹介していただいている
「7.dd._House」も、住まい手と、住まいという「物」に対する価値観の徹底した話し合いを行って、究極のコストコントロールを追求しました。
たとえば、僕は住まい手と、我々が考える家づくりを理解しサポートしてくれる大工さんを探し回りました。
その大工さんは、地域に根ざした大工さんで、少人数でやっているところです。
また、建て売り住宅やハウスメーカーの下請けをやっていないことを条件としました。
その条件にかなうならば、その作り手は、地域に根ざして仕事をしているということであり、お客さんとの人と人との信頼関係を大切にしていることになると考えるからです。
そうした作り手を捜し出すための具体的な方法としては、
まず、信頼できる大工さんの情報は材木屋さんに集まるのは、工務店に勤務していたときに教えられましたから、今回も建て主さんに材木屋さんを調べてもらい、そこから候補となる大工さんを探してゆきました。
建て主さんが探す、ということが大切です。
設計者が探してしまっては、のちのちの作り手との信頼関係を築くためのパワーを失ってしまうことになるからです。私としては、良い大工さんにたどり着けるようなアドバイスをさせていただきながら、そのプロセスをフォローさせていただきました。
さて、こういう大工さんは、なかなか我々一般の人の目にふれることがないというのが現状です。でも、探せば、まだまだたくさん、地域に根ざした、自分で仕事をしている(他人からの下請けではない)信頼できる大工さんはいるのです。
というわけで、我々は小野瀬さんという大工さんと巡り会うことが出来ました。
小野瀬さんは我々の注文の一つ一つに真剣に耳を傾けてくださいました。
そして、設計の考えもよく理解してくださったのです。
こうした、相互理解なくしては合理的で無駄のない工事、
つまりはコントロールされたコストでの工事は成し遂げられなかったと思います。
そうした作り手との信頼関係を築きながら
我々は、住まいを合理的に詰めて設計をすすめてゆきました。
必要なもの何か、必要だけれども今はいらないものは何か、そして、必要ないものは何か。
まずは建物の大きさです。
そして、将来的な可変性に耐えられるようにしておく必要性。
そのために、間仕切り壁は最小限にして、大きな梁で大きな空間を用意しておくこと。
狭小地であるため、周囲からのプライバシーを確保しなくてはならないこと。
こうしたことは、当然ながらそれぞれのご家族によって変わってきます。
それぞれのご家族に、最適な家という「物」をつくるにあたっての合理性を導き出すのが設計のプロセスであると私は考えています。
具体的な例としては
このお宅には天井がないことがあげられます。
上の階の床板がそのまま下の階の天井になっています。
「7.dd._House 床板=天井」
床板を張れば、そのまま床と天井ができあがるということです。
大工さんの手間も少なく、天井を仕上げる材料や下地もいりません。
コストを抑える一つの有効な方法です。
これは、実に合理的な作り方ですが、上の階の物音、足音や何かを動かす音が、ダイレクトに下の階に聞こえてしまうのです。
住まいというのは、そこに住まう人の生活をしっかりと支えてあげなくてはならないわけで、音の問題はとても重要です。
結論としては、住み始めの頃は2階の音がいくら聞こえても問題ないだろうということ。
子供が大きくなったり、自宅で仕事をするようになって必要になれば
その時に、梁と梁の間に吸音材を入れて、天井を張ることだって出来るということ。
そこまで、話し合って、天井なしの仕様でつくることの合意に達しました。
余談ですが、同じように天井なしの仕様をご希望された方がいたのですが
その方はご両親と一緒に暮らすことが前提になっていたために
よく話し合って、最終的には天井を張ることになりました。
また、あるご家族は、トイレにドアがいらないと言われたので、
やはりトイレにドアはあった方が良いと何度もアドバイスしましたが
結局付けませんでした。住み始めて6年になりますが、いまだにトイレのドアはありません。
設計者には、こうした合理的な背景に潜む様々な問題を
それぞれのご家族ごとによく理解し、
そこでなされる判断の重要性を住まい手に説明する責任があると思います。
住まいを合理的に無駄なく作り込むためには
住まい手の住まいに対する前向きな姿勢と
自らの生活に対する深い理解が求められます。
そうして、少なくとも、前向きな姿勢と深い理解を持った方々は
合理的でコストコントロールの効いた、
十分に納得のできる住まいを手に入れることが出来るのです。
僕は、そうした作り手に対して、可能な限りのアドバイスをさせていただいております。
それが、僕の考える、設計者の重要な役割でもあるのです。
<2006.06.02-加筆修正しました>
<2006.10.30-さらに加筆修正しました>
自らの生活に対する深い理解
ですかー。ちょっと、考えてみる事にします。
頭で、まとめておかなくちゃ。
家づくりにはいろいろな考え方があります。
建て主さんと設計者、工務店、それぞれの関係が大切です。
その関係も、家づくりの考え方によって大きく変わってきます。
僕のところに相談に来られる方々は
木のテイストが好きだったり、吹き抜けや天窓を生かした空間の使い方に魅力を感じてくださったりと様々なんですが
やはり、どこかで、自分の家づくりなのに、今時の家づくりは、なんだか押しつけられているように感じている方が多いですね。
やはり、今の社会が基本的に大量消費社会で、すべての物やサービスまでもが商品として用意されているわけです。僕らに許されているのは、様々な選択肢から選ぶだけ。そこには、巧妙に主体性が隠し取られてしまう可能性がある。そして、社会の中で、主体性が奪われてしまっていることに、違和感を感じている方がいる。
それが、押しつけられ感、というようなことだと僕は考えています。
そういう方々を、どうやったらフォローできるのかというのが僕の設計のテーマでもあります。
住まいは、人それぞれです。誰かの生活パターンは参考になったりはしますが、それを自分のモノとする必要があります。その過程で、多くの人は自らの生活を振り返ることになります。そして、自らの生活に深い理解を得た人は、自らの住まいに対して必要なモノを探すときに、その理解が大きな助けになります。
僕に出来ることは、理解へのきっかけを差し出すことだけです。
理解をつかみ取れるのは、酷なようですが、あくまでもご本人だけなのです。
コメイノチさんも、がんばってください。
応援していますよ。
入魂のメッセージに大いに共感します。
「価格(プライス)」と「価値(バリュー)」とは違いますものね。
雑誌で実に高級感を漂わしている大理石の床のリビング
・・・きっとびっくりするような価格なんでしょうが、床に寝転ぶことを至福とする私には無価値どころか、即リフォームしたくなるマイナスといってもいい代物。
大切なのは単なるプライスダウンではなく、自分にとって
プライス<バリュー なのか プライス>バリュー なのかを見極めていくってことなんですね。