森とつくる いっしょにつくる
アトリエフルカワ一級建築士事務所

男性原理・女性原理

16 レスポンス

  1. 栗原 より:

    こんにちは!
    少し違う話題になってしまいますが・・
    このお話を読むと母系社会とか父系社会とかについて書かれた本を思い出します。
    男性は、結局のところ母親の影響をかなり受けて育っているので
    結果的には女性の要素が満載だなんていう内容でした。
    なんとなく納得できるような、そうでもないような。。という感じですが・・^^;
    >その無邪気さを実現させる水鉄砲を持つことが
    今の時代には大切なことだと思っています。
    なるほど・・若者、頑張ります!!^^

  2. エボホーム より:

    こんばんわ〜
    単に、ものすごーーく、永い歴史の中で、男性と女性の力関係が
    トレンドしてるのではないでしょうか。。卑弥呼、楊貴妃、クレオパトラとかいましたよね。
    最近、料理の出来る男性が増え、逆に料理のしない女性が増えているとか・・
    そのうち、厨房から女性の姿は消え、男性の城に。。
    しかし更に時が経つと、料理の出来る女性が増え、逆に料理のしない男性が増えているとか・・
    何を言ってんだかわかんなくなりました!

  3. fuRu より:

    栗原さま
    どうもどうも、いらっしゃいませ。
    私はセクシャリティというのは複数あると思っています。
    男と女という単純な二分法では語れない。
    栗原さんのなかにも男っぽいものを感じますし
    自分の中にも女っぽいものを強く意識するときがあります。
    複雑ですよね。多分、わかってくれていると思います。
    そして、男と女を二分法で語ることこそが男性原理なんだと思うのです。
    もっともっと現実は複雑怪奇。
    水鉄砲はその複雑怪奇さを愉しむ道具なのかもしれません。
    ところで、栗原さん
    中島みゆき 歌いますか?
    栗原さんで「化粧」聴いてみたいです。

  4. fuRu より:

    エボホームさま
    北の国からようこそ!
    雑貨屋さんのほうはどうですか?
    そうそう、最近、よく見ているテレビが
    NHKの「東京カワイイTV」なんです。
    女子高生のウフフな感じが素敵です。
    女子高生にはお金でウフフを売ってほしくないですね。
    オヤジになりきれないオヤジの沢村一樹が絶妙な立ち位置でこれがまた良い。
    NHKだから全国どこでも見ることが出来ると思いますが、未見でしたらぜひ見てください。
    えーっと、何を言いたいのかというと、この番組で出てくる数々の物事は、やっぱり今だけのものではないかと。昔あったものの繰り返しとはちと考えられない。
    でも、清少納言とか枕草子とか、実は現代の女子高生の感覚に近いのかもしれませんね。
    あはは、私も何言ってんだかわかんなくなりました〜

  5. (!!)。 より:

    それは意識の中にあります
    言葉の成り立ちや表現にも露骨にあって
    気を使うことがあります
    ニュートラルでいたいです
    おかまじゃないです
    よくいわれますが、、、(^-^)v

  6. fuRu より:

    (!!)。 さま
    うふふ、ですね。
    心の問題でありながら外部に大きく影を落とす。
    それがやっかいです。
    そんなにやっかいならばオカマになったほうがいいかもしれません。

  7. 光代 より:

    何と嬉しい素晴らしい文章に出会ったんでしょう!!
    >>>「男性原理/女性原理」という構造そのものの変化。
    これは、ポニョの水鉄砲に象徴されるもの
    すべてを白紙に返すような無垢な力。
    この変化によって、家づくりを支えている産業構造そのものも変化するでしょう。
    その無邪気さを実現させる水鉄砲を持つことが
    今の時代には大切なことだと思っています。>>>
    涙さえ出そうになっています、感動して。
    男性原理と女性原理のぶつかるところに「無邪気さを実現させる水鉄砲」が登場するとは、そして それを男性から語られる日が来るとは 思っても居ませんでした。(ごめんなさい)
    嬉しくって、ちょっと 興奮しちゃいました。
    おっしゃる通り 根源的な変化が起きているとしたら それはとても嬉しいことですね〜。

  8. fuRu より:

    光代sama
    じつは、ポニョをみた時に
    なんかすごいものを見てしまったと妖しい気分になっていたのですが
    今回はそれを少しだけ言葉にできたかなというところですが、
    まだまだ何も語れていません。
    言葉にするということ自体が男性原理に縛られていますから
    本当は新しい言葉が必要なんだと思います。
    村上春樹の小説には新しい言葉の響きを感じます。
    また、映画や映像というのは独自の表現、新しい言葉として機能していると思います。masaさんの「時差ボケ東京」にも強烈な男性原理へのアンチを感じます。

  9. 栗原 より:

    こんにちは。
    >栗原さんのなかにも男っぽいものを感じますし
    学生時代にお付き合いしていた彼に言われたことがあります。
    このような感じです。
    私 『私のどこが好きなの?』
    彼 『包容力があるところ!』
    マジっ!?とビックリしました。笑
    なんだか完全に男女がひっくり返ったような会話でした。
    私も男と女という単純な二分法では分けられないと思います。
    私は以前このようなことに興味があって
    『とりかえばや物語』『両性具有の美』というのを読みました。
    非常に興味深いお話しです。

  10. fuRu より:

    栗原sama
    「包容力」は女性原理なんではないでしょうかね。
    どうでしょう。
    あまたの男性は女性に「包容力」を求めていると思いますよ。
    あー、私も女性の包容力にはめっぽう弱いですぅ〜。
    ポニョの中でもグランマンマーレは巨大な存在として描かれていましたね。
    海そのものですかね、あれは。
    ああいうのに、男どもは全くかなわない。
    その前では誰もが乳飲み子になってしまうのです。

  11. 光代 より:

    fuRuさま
    そうですよね、言葉で語ると 男性原理に縛られずには居られませんよね。
    私が子供の頃から「言葉を捨てる!」などと 息巻いていたのは そのせいだったのかもしれないと 気づかされました、うむむむむ。
    発見が嬉しいです!!
    >>映画や映像というのは独自の表現、新しい言葉として機能している>>
    はい!
    まさしくその通りだと思います。
    そう言う意味で ミシェル・ゴンドリーなど 大好きです。
    そして、それは男性原理/女性原理というより 歴史の中で頑とした「現実」として語られる権威だと思うし、個人に戻って言うなら 自分の中に出来上がってしまった「常識・あたりまえ」と言う感覚だと思います。
    masaさんの写真集「時差ボケ東京」は まさしくその双方に切り込んでいて しかも美しい。画期的な写真集だと思います。
    ご本人はどのようにお感じか分かりませんが あの写真集もまた「水鉄砲」でありましょう。
    そして、それは凄いことですね!

  12. fuRu より:

    光代さま
    たぶん、セクシャリティが多様化したのも映像の時代になってからだと、私は踏んでいるのです。
    そして、私もmasaさんの写真集は水鉄砲だと思っています、ですよ。

  13. くろべえ より:

    ご無沙汰しています。
    ポニョ、先日再度見てきました。
    「感動」という陳腐な言葉で表現できないほどよかったでした。
    宮崎駿のテーマのひとつに「現状肯定」というのがあると思います。
    ナウシカも映画では分かりませんが、コミックのラストの強烈な現状肯定には戦慄さえ覚えます。
    肯定=受け入れる
    ポニョではそれが前面に出ています。
    男性たちはオロオロし、女性たちは全てを受け入れています。
    女性原理とは「受け入れる」ことなんでしょうね。
    それを表現するために今回は海になったのだと思います。
    海は全ての命の源でもありますし、母性の象徴でもありますよね。
    なーんて、えらそうに書いでますが、あそこまで「受け入れる」ことができるだろうか?
    と自分の卑小さにガックリしたりもしました。
    ある意味とーてもセクシーな映画ですね。
    とにかくすごい映画だ、と改めて観てみて感じました。
    みなさんのコメントを読んでもっとあれこれ感ずることはあったのですが、映画の話に終始してしまいました。
    すみません(汗)

  14. fuRu より:

    くろべえさま
    >肯定=受け入れる
    ポニョではそれが前面に出ています。
    男性たちはオロオロし、女性たちは全てを受け入れています。
    女性原理とは「受け入れる」ことなんでしょうね。
    おおおおおーーーーー
    まさにそれが言いたかったのです。
    ご理解いただき嬉しい限りです!
    社会全体が受け入れられることを望んでいると思います。
    それは、甘やかして欲しいというのとは決定的に違います。

  15. くろべえ より:

    >社会全体が受け入れられることを望んでいると思います。
    同感です。
    いまの世の中、否定的な感覚が多いように思います。
    他者の否定、孤立感、疎外感等等…。
    そうした個人的感情からくる事件も多いですよね。
    自分では気がつかなくても誰もがそういう自己否定的な感覚を多少なりとも抱えていて、
    「受け入れてほしい」と切望している気がします。
    私自身もそういう部分があると思います。
    だからポニョ一回目はそんなことあるはずない!とポカン。
    二回目は素直になれて涙、だったのだと思います。
    リサがドームで宗佑を受け止めようと、手足を大きく広げて待ち構えているシーンが
    とても印象に残っています。
    あ、また映画の話になっちゃいました〜(汗)。

  16. fuRu より:

    くろべえさま
    私の駄文も、あの映画のことを語っているに過ぎないのです。
    近いうちにポニョをそういう論点から論じる人もでてくるでしょう。
    さて、くろべえさんのコメントを読ませていただいて
    ポニョの意味するところは
    自己否定の無意味さと
    おおらかな自己肯定
    ということではないかと思いました。
    こうして意見がクロスしてゆくのもブログの素敵なところですね。