木曽谷の桧を里に搬出するには、河川を流して行っていましたが、大正時代に木曽川に発電を主目的とするダムの建設が始まったり、急峻な河川を流す方法では材木の損傷も激しかったために、国鉄中央線が整備されたのを契機に鉄道による搬出が本格的に始まります。それが木曽森林鉄道です。
その後、トラックの普及、林道の開発により鉄道からトラックへの切り替えが進み、昭和50年5月が森林鉄道の最後の運行となったのでした。
しかし、森林鉄道の存続を望む声は絶えず、赤沢地区が自然保養林として開園していたこともあり、昭和53年に保存施設建設。この施設を使い昭和60年の伊勢神宮神木が搬出され、昭和62年、観光用としての鉄道運行が再開されたのでした。
往復25分の小さな旅ですが、赤沢地区の自然の中をかわいらしい鉄道は今も走り続けています。
赤沢、、、
懐かしい
遠い昔、大学生のとき
彼女と学割鈍行民宿を点々と
富山、高山、木曽福島、妻籠宿・馬籠宿、下呂温泉も経由したかな??
その時、赤沢の自然何とか言うところをハイキングしました
きっとこの鉄道が無くなってすぐのころです
そのころから森林浴などという言葉が出てきたような気がします
公害が問題になった後でしたからね
(!!)。さま
それほど年は違わないはずなのに
長老のようなコメント・・・・と思いましたが
考えてみれば昭和62年というのは、私もすでに大学を卒業しておりますね。
なーんだ、まるで不思議ではないコメントだったのですね。
そうです、そのころ森林浴という言葉がマスコミで取り上げられました。
赤沢には「森林浴発祥の地」という石碑が立っておりました。